奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第十五章・その③

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「約束だから。でも、こうやって無事に瑞希ちゃんと並んで座っていることがなんだか信じられない」

「ありがとう……本当に怖かったの。まだ今でも」

そう言うと瑞希は掌の震えを逃がすように両手をこすり合わせた。

「ねえ、いったいなにを見たの?」

「え?」

「電話で言ってた。『私見ちゃったの』って」

瑞希はどこを見つめるでもなく、ただ宙に目を向け、しばらく黙っていた。

そして眉間にしわを少し寄せ、首を傾けた。

「言いたくないことだったら別にいいけど」

「いや、違うの。私もね、よく分かってないの。だけれど、なんていうか、繋がったのよ」

「繋がった?」

「うん。最初は携帯がなくなったの。一昨日ぐらいに。私、絶対に鞄に入れたし、なくなるはずなかったのに、どこを探してもないしすごく困って。そして偶然見かけたの、千寿さんが平手打ちをされていたのを。スーツの男の人に」

「千寿さんって瑞希ちゃんをセミナーに誘ってきた人?」

「そう。それで、ビンタされて真面目な顔でお辞儀してたの。え? なに? って思ってたらスッと記憶が飛ぶの。気が付いたらハイエースの中にいてね」

「今日の話?」

「うん。そして千寿さんニコニコしながらまたいつもの通りなの。気持ち悪くて。だけど、私が見たのはそういうことじゃなくて、千寿さんがビンタされてるのをたまたま見かけたあと、記憶を失ったときにみた夢の話」

「夢?」

「暗闇の夢。とにかく暗闇に覆われていて、その暗闇から手が伸びるの。暗闇の影。その影が私の足首を掴んで暗闇に引きずり込もうとしているの。私ね本当に怖くて、声を上げたわ、大声で叫んで絶対嫌だって、そしたら出てきたの」

「なにが?」

「小人。怠け者を影で覆うあの小人。私は自分の状況を一瞬で理解するの、これは小人の仕業で、私は今、影で覆われようとしているんだって。でも私、怠けてたわけじゃないし、影で覆われないために今までだっていろいろ頑張ってきたつもりよ。だから言ったの小人に。なんでそんな事するのって」

「そしたら?」

「そしたら、小人がこう言うの。『お前は頑張ってたつもりかもしれないけれど、ただ逃げてただけじゃん』って。私が戸惑っているとさらに続けて『特別ヒントだからな』って言ってね、『あのときから目を覚まさない限りあんたは影で覆われるよ。いくら逃げたって』そう言うと、小人はピョンピョン跳ねながら闇の中に消えていっちゃうの。だけれど、私は心の奥底で理解したの。その言葉の意味を」

「どういうことなの?」

「うまく説明できない。だけれど、そういうことなの」

「なにが繋がったの?」

「その夢は今まで私が抱えていた漠然としたものに繋がったの。そしてあのとき、栗田君が言っていた小人の夢の話と同じだって気が付いたの。ねえ、変かな? こんな説明であんな目に巻き込んでしまって」

瑞希は不安げに僕を見つめた。その表情は迷子になってしまった少女ように混乱を抱え、どうすれば良いのか戸惑っている。

「いや、幾つか僕の見てきたものとも繋がってるんだ」

「え?」

「まず、クリエイティブメゾンについては悪い噂を聞いた。一時期話題になったサンセット会との関わりについて。人を騙してお金と労働と人間性を奪い取る仕組みがあって、とても危険なんだ。それはあの執拗に追ってきた態度を一つ取るだけでも納得ができる。それと、小人の話。僕達が見た夢を信じるなら、やはり、クリエイティブメゾンは影で、瑞希ちゃんはそこから逃げないといけなかった。だから、きっとこれで良かったんだよ」

「そうなのかしら。だって私は、まだ逃げているだけで、きっと目を覚ましていないんだわ。あの小人のヒントを考えると、私はまだしないといけないことがあるの」

「例えば、目を覚まさないといけないって出来事については思い当たることある?」

瑞希はしばらく真剣に考えた。辺りは暗く、とても静かだった。

僕は瑞希が喋り出すのをしばらく待った。視界には沼津の街明かりが静寂の中で揺れていた。街明りの上に夜空を纏った海の水面がこんな遠くからでも生命を包み込んでいるのを感じさせていた。

「お祖母ちゃんが死んだのが、私が小学生の頃なのね。事故なの」

瑞希は小さな声で話し始めた。

「うん」

「私は学校から帰って来てとても疲れていたの。帰ったときはうちにお祖母ちゃんがいて、『買い物に付き合ってよ』って言われてね。私は疲れてて、とても眠くてお祖母ちゃんの誘いを断ったの。そして眠ったの。もう泥のように床にへばりついて眠ったの。そして起きたときに世界が一変していた。お祖母ちゃんが事故にあったと言って父さんもお母さんも大慌てで、そして目が覚めてはじめて見たお祖母ちゃんは病院で横になって死んでいる姿だったの」

「……」

「私はあのときからしばらく怖くなったの。目を覚ますことも。眠ることも。色々自分を責めたし、ずっと怖かった。だって私お祖母ちゃん大好きだったのよ」

そこまで言うと瑞希はなにかつっかえていたものが再び現れたように、スハッと息を吸い込み、しばらく固まったあと、小刻みに息を吐いた。

「うん。もちろん瑞希ちゃんのせいじゃない」

「私、怖いの。私にとって影はとてもリアルなの。すぐ目の前にあって、そして一瞬で私を覆いつくそうとするの。目を覚ましたと同時に」

瑞希は小声でそう言うと、足を抱え体育座りになり体を丸めた。

僕は、瑞希になにか言わないといけないと思った。彼女が自分を見失わないために、なにかを。

「僕は、瑞希ちゃんに出会えたお蔭でなんとかこの世界に留まっているような感覚があるんだ」

瑞希はなにも答えず、僕の話を聞いていた。

「僕はどちらかと言えば内気で、とくに目立つ存在でもない。ひっそりと息を潜めながら隅っこで生きているような気分だった。そのうちなにか楽しみを見つけて、誰か好きな人と出会って、なんて言うのか、いずれ起こる「なにか」に期待しながら生きてきていたんだと思う。そんな中、瑞希ちゃんは僕に話しかけてくれた。そして、充実を求めて素直に動く瑞希ちゃんの姿を眺めていると、僕は涙が出ることさえあったんだ。それはきっと、僕も瑞希ちゃんのように情熱を持って生きたいと漠然とした思いを抱えていたからだと思う。でもそうなれない自分への苛立ちがあって、結局僕は、心の震えの在処を見失ったようになってしまった」

僕は、僕自身の不在を知った。

「なにが言いたかったのか分からなくなっちゃったな」

僕は話しながら横道にそれていることに気付いた。暗闇と静寂さと遠くの街明りは人の心を正直にさせる。

僕がそういうと、瑞希は僕に顔を向けて笑った。心細さと優しさが入り混じった静かな微笑みだった。

「とても疲れたみたい。だけれど、眠るのが怖いわ」

「大丈夫。もし、世界が一変していたとしても、それは瑞希ちゃんにとって素敵な世界にかわっているから」

「本当に?」

「本当さ」

「なんだか不思議。色々なことが嘘みたいね」

「過ぎてしまえば、記憶も夢も同じ場所に留まる」

「栗田君」

「なに?」

「ありがとう」

瑞希は小さく、寝息交じりのような声でそう言った。

「しばらく眠ると良いよ」

 

 

静寂の中、瑞希の寝息が聞こえてくる。

見ると、瑞希は静かに目を閉じ、眠っている。瑞希の寝顔を見るのはこれが二回目だった。だけど、あの時とは違い、瑞希は自らの意志で、僕の横で眠りについた。

それは僕にとってとても幸せなひとときだった。何者にも邪魔されたくない。僕はしばらく携帯の電源を切ろうと、ポケットから取り出すと、すでに電池が終わっていた。「そうか」と思い、ポケットへ戻す。今僕は誰にも知られていない孤島の片隅で瑞希と二人、闇夜に包まれている。

一瞬、バイト先のことや、明日の出勤や、漠然とした不安が僕の思考を征服しかけたけれど、それら全てを失ったとしても「今」の中に留まりたいと感じていた。僕はこれで良い。僕はここで良い。

 

「よう、調子はどうだい?」

どこからか小人の声が聞こえてきた。

はじめは空耳だと思っていたが、その声がリアルな実感を含み、僕の鼓膜を揺さぶっているのに気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

不器用なアナログレコードの挑戦

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