奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第十章・その①

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大量のジャガイモをどう料理するか考えていたら、電話が鳴った。瑞希かなと思ったら知らない番号からで、出ると職安からの電話だった。条件に合いそうな職場があるのだけれど、面接に行ってみないかとの連絡だった。

とくに用事もなかったし、行くことにした。パソコンの方にメールで情報と詳細を送るので、と言われ、「はい」と答えた。

最近電話がよく鳴る。

メールを確認すると、求人情報の詳細が書かれていて、読み進めるうちに気持ちが萎えてくる。求人情報を読むときはいつもそうだ。ネガティブな気分が先行する。どんな人がいて、どんな思いをするのか、漠然とした不安。今あるすべてを捨てて、新しい場所に飛び込む不安。そこで馴染めなかったらまた一から始めないといけないというプレッシャー。

月給十八万以上。契約社員。事務スタッフ。

 

面接の時間までしばらくあったので、僕はシャワーを浴びて、髭を剃り、スーツとワイシャツを押し入れから出した。そういった行為がまた僕を嫌な気分にさせる。正しい恰好。正しい姿。

憂鬱な気分で準備をしているとインターホンが鳴った。

「はい?」

瑞希だよ」

瑞希? 慌ててドアを開けると、そこには黄色いシャツにピンクのパンツ姿の瑞希が立っていた。

「どうしたの突然?」

「なにその恰好?」

瑞希はキョトンとした顔で言った。瑞希は久しぶりだとか、そう言ったことより自分の興味に忠実なのだ。僕はシャツにスーツのズボンを穿いていた。正しい姿。

「似合わない?」

「学生みたい」

「そうかなぁ」

「野菜届いた?」

「あ、届いてるよ。ありがとう」

瑞希は、顔をのぞかせ、部屋の中を見た。室内に置かれていた段ボールを見て「届いてるねー」と言って、僕を見てニンマリと笑った。僕は少し照れて目を反らした。

瑞希は僕の隙間をひょろりと抜け、跳ねるように靴を脱いで部屋の中へと入り、段ボールの前へと座った。

「送った段ボールがこうして届いているの見るのなんか楽しい。ちょっと違って見える」

「そう」

「ねえ、なにか野菜食べた?」

いつもの瑞希だ。すんなり僕の隙間に入り込む。瑞希の無邪気さは瞬時に僕を落ち着かせてくれる。

「いや、まだ食べてない」

「おいしいよ。ジャガイモ。作ろうか?」

瑞希の料理の腕前はかなりのものだった。入り込むと、その世界にどっぷり浸かるため、中途半端な仕上がりをしない。それでいて、すぐにアレンジを加えて、新たな味を模索する。なので、毎回同じ味の料理を作ることが出来ないと言って、料理人を諦めたときも、僕はそばで相談に乗った。

僕は、もう面接になんか行くのは止めて、瑞希と時間を過ごしたいと気持ちが傾いてきていた。

「そうしてもらっちゃおうかな……」

と、僕が答えると、瑞希はキョトンとした顔で、僕の顔を見つめた。

なにか考えている。

「ところで、その恰好はなに?」

「ああ、面接を受けることになってたんだけど、乗り気ではなくてね……」

「就職決まりそうなの?」

「いや、ただの面接。まだ入れるのかも分からない」

「だったらいかないとダメじゃない。職安とかあんなに通ってたんだから」

「いや、いいよ」

「ダメ、チャンスってのは、ほんのわずかな決断なんだよ」

これは瑞希がなにかを諦めて心変わりする時によく口にする言葉だった。

この言葉が出る時の瑞希は、相手が何と言おうと譲ろうとしない。

「あ、うん」

僕は渋々答えた。だけど面接なんかより、瑞希と一緒にいたかった。

就職なんかより、瑞希と少しでも一緒にいられることを望んだ。

それを実際、口にしようかと頭をよぎった。が、瑞希の興味は既に他へと移っているらしく、

「あのね、今度、ちょっとした集まりに参加するの」

と、話題は既に切り替わっていた。

「集まり?」

「やりたいことがある人のために支援してくれる活動があって、その説明会なの」

「それは誰の紹介なの?」

「この前の農業体験に参加した時に知り合った人。その人が教えてくれてね、その人と一緒に話を聞きに行くの。とっても親切な人だった。目がきらきらしていたの」

瑞希は親切で目がきらきらしている人をすぐに信じた。今までも「親切で、目がきらきらした人たち」に沢山あって来たのだけど、傍から見た僕の感想を言えば、それは一方的な瑞希の見え方に過ぎず、その「親切で目がきらきらした人」に随分と酷いことをされたこともあったように思う。瑞希は、実際、誰よりも目がきらきらしていた。そのことを自分で確認できない分、他人の評価が上がってしまうのは無理もないと僕は思っていた。僕は瑞希ほど、目のきらきらした人を知らない。

「具体的にはどういうことをするの?」

「新しい起業の形だって。例えば、新鮮な野菜をその支援団体が安く私達個人に卸してくれて、それをできるだけ沢山の人に売るとか。もちろん野菜だけじゃなく、絵画とか、本とか、食器とかその人の用途にあったものを売ればいいの。もし全部売り切れなくても、その支援団体がまた何割引きかで買い取ってくれのでリスクは減るわけね」

瑞希はその覚えたてであろうマニュアルを自慢げに話した。きっと詳しく、積極的に説明されたであろうその話は明らかに胡散臭いと僕に感じさせた。

「それは、なんだろ、大丈夫なの?」

「え、どういうこと?」

「詐欺とか、インチキってことはないのかな?」

「大丈夫よ。良い人だったし」

と、瑞希は言った。本当にそう信じているんだなと僕は思った。

僕は不親切な詐欺師もいないだろうと、幾つかの疑問が頭をよぎったりしたのだけど、まだなにも起きていない段階で頭ごなしに否定ばかりしていても良くないだろうと言葉を濁した。そもそも僕は疑いばかり先行して行動力が伴わないでいる。そのことは僕をたまに落ち込ませていた。

「栗田君も面接落ちたら聞きに行ってみなよ。きっと良いことに繋がるよ」

面接に行く前に落ちたときのことを話す瑞希に、もちろん悪気はない。

「そうだね、考えておく」

瑞希は鞄からメモ帳を取り出して、カードに書かれた文字を書き写すと、「はい」と、ちぎって僕に差し出した。そこには「クリエイティブメゾン」と書かれてあって、電話番号が記載されていた。

「ありがとう」と言って僕は一応そのメモを受け取った。

 

 

妹と猫

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