奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第九章・その②

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約束の時間近くに荻窪に到着した。荻窪はずいぶんと人の行き来が多かった。

改札でポカンと人混みを眺め待っていると、サンダル姿の父さんが歩いてきた。どこで売ってるのか分からない柄のセーターに、とても安く見える土色のズボンをはいていた。田舎では特に目立つような服ではなかったけれど、荻窪で見る父さんはどこか浮いていた。他人行儀な人混みに、お構いなしで無防備な感じがする。

「そんな恰好で来たの?」

「なに、どこか変かな?」

「で、どこか行くの?」

「いやさ、荻窪をお前と歩きたいと思ってさ」

 

父さんに続いて荻窪の街を歩く。数時間前まで歩いていた長野の田んぼ道と比べると、店が多く、人も多かった。

「昔、荻窪で働いてたんだ」

無言でスタスタ歩いていた父さんが突然口を開いた。

「え、東京にいたの?」

「大学出てから、二年ぐらいブラブラといた。四十年ぐらい前だな」

「そうなんだ」

「すっかり変わっちゃったな。こんなにビルとかなかった」

商店街を過ぎ、道路沿いの道をしばらく歩いていく。

父さんは「はー、変わったなー。全然わからないなぁ」とか呟きながら時折早足になったりしながらツカツカ前を歩いていく。

「どこまで歩くの?」

「んーとさ、ここら辺に横道があってさ。あったと思うんだよなぁ」

適当な横道へと入り比較的静かな道へと出る。小さなパーキングとマンションや住宅が立ち並んでいる。よくあるような、よく見かけるような道。

「あ、そうだ父さん?」

「ん?」

「これ、渡しとかなきゃ」

と、僕は母さんから預かった父さんの携帯電話を鞄から取り出した。

「あー、そうか。お前、本当に安曇野行ったんだなぁ」

「誰のせいだよ」

父さんはニヤリと表情を作り頷くと、携帯電話を受け取り、ズボンのポケットへ無造作に入れた。そして、またスタスタと歩き出した。

しばらく進み道角に入ると、行き止まりになっていた。

「ないな」

「なにが?」

「たぶん、ここらに会社があったと思うんだ」

三十年以上前の思い出の場所。今では面影もないなんでもない場所。父さんはつまらなそうな表情を浮かべ、辺りを見回すと、「さあて、飯でも食うか」と僕に言った。

 

駅前に引き返し、適当なチェーン店の居酒屋へ入った。

店員はいらっしゃいませと大声で僕達を迎え入れ「何名様ですか?」と訊き、父さんが「二名」と答え、また店員は大声で「二名様ご案内」と大声で叫んだ。店内は昼間から結構なお客が入っていた。四名ほど座れるスペースに通され、「注文はそちらのタッチパネルからご利用ください。まず、お飲物がお決まりでしたら?」

「生一つ」と父さんが言い、「二つで」と僕も続いた。

相変わらず、父さんがいることに違和感を覚える。東京のチェーン店の居酒屋に二人でいることも。きっと、東京は僕にとって長野の田舎と違って、個人的な思いを集積した場所になっているのかもしれない。自分の部屋にずっと父さんが居座っているような居心地の悪さ。

「昨日はなにしてたの?」

と、僕が父さんに訊いた。

入れ違いで東京に来た父さんは一日東京で過ごした。

「昨日も似た感じだよ。昔住んでいた場所とか、通った店とか、そんなのがあるのかどうか見て回った。ほとんど面影ないよな」

生ビールが運ばれてきて、タッチパネルで簡単につまみやら、食事を注文した。

「なんでまた、そんなことしようと思ったの?」

「なんとなく。いちいち意味なんかないんだよ。ただ、ずいぶん時間が流れたような気がしたから、そういえばあれはどうなったんだろうなって。まあ、行ったはいいが、面影もなくって、つまらないからさ、途中で飽きてあとはサウナ。サウナに入って風呂に入って、大部屋に寝転んでそのまま泊まった」

「そうなんだ」

僕は昔、一度だけ終電を逃しサウナに泊まったときのことを思い出した。

広いロッカールームの片隅で、黙々と服を脱いで、最後のパンツを脱いだときに受け入れがたいことへの諦めのような寂しい気分になった。

「でも、今日はまだ良いな」

「ん? なにが?」

「お前と一緒ってのが良かった。また、つまらない場所になり下がってるってのが良かった」

「なんでそれが良いの?」

「そういうのが良いんだよ」

と、父さんはビールを飲んだ。

ビールを飲み、から揚げを食べ、ホッケを食べ、お好み焼きを食べ、刺身を食べ、煮込みを食べ、焼き鳥を食べた。またビールを注文して、野菜はないのかと言ってシーザーサラダを頼んだ。「シーザーサラダ」と父がなぜか繰り返した。

「昔さ、お前、犬飼いたいって言ってたよな。で、俺がダメだって言って。で、泣いてたよな。部屋から出てこないで」

「そんなこともあったかな」

昔、僕がまだ幼稚園ぐらいの頃、犬を飼いたくて父さんにお願いしたことがあった気がする。記憶の片隅。だけど、うちは共働きだったし「誰が面倒をみるんだ」みたいなことで断られた。

「父さんはよく覚えてるんだ。今でもたまに思い出す。そして、説明不足だったような気がして、その説明をなんて言えば良かったのか考えたりする。だって、その後お前は一度も犬を飼いたいとは言ってこなかったから」

「んー、まー、とくに飼いたいとは思ってなかったからじゃないかな。たぶん」

「だったら良いんだけれど。ほら、そうやって頭ごなしにしていくと、お前は受動的になってしまうんじゃないかと心配していた」

「受動的?」

「つまりお前には自分で考えて、自分で判断してほしいって話だな」

「ふーむ」

「でな、最近、松本の方に何度か通って真剣に下見してな、考えたんだけど」

「なにを?」

「父さん、犬飼おうと思ってるんだが……」

そう言うと、父さんは緊張した顔をして、箸を置いた。

「へ?」

「いいかな?」

「うん。いいと思うよ」

「そうか、そう思うか? 良かった」

父さんはそういうと、ホッとしたように笑顔を浮かべた。その笑顔を見てふと小人のルチェルナを思い出した。そういえばルチェルナは猫や犬を飼われると自分のことを忘れられてしまうって寂しがっていた。

 

父さんはもしかしたら、わざわざ犬を飼う許可を取りに東京まで来たのかもしれない。

 

居酒屋を出て、二人で新宿まで中央線に乗り、駅内の通用口で別れた。

「じゃ、たまには帰って来いよ」

「さっき帰ったばかりだよ」

「ああ、そうか」

 

新宿駅の雑踏は歩いていく父さんをあっという間に隠した。

僕はその人混みを眺めながら、僕はいったいなんでここにいるのだろうか?

と、少し胸が締め付けられた。

 

 

くらげ

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