奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第九章・その①

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朝の八時半に目覚めたときには、母さんはすでに食事の支度を済ませていた。朝食は味噌汁とご飯、生卵と、焼き魚。

ちなみに昨日の夜はカレーだったんだけど、その周りには唐揚げと、コロッケと、グラタンに、サラダが並んでいた。「カツもいる?」と聞かれたので、「いや、いいよ」とだけ答えて、それらを黙々と食べた。僕の好きだったものばかり。

 

「これだとお腹空く? 昨日のカレーもあるから」

「いや、大丈夫」

味噌汁には油揚げが入ってる。僕が好きな味噌汁。

「今日帰るの?」

「うん」

「父さんに携帯持ってってくれる?」

「あ、うん」

携帯はお膳の上に置かれていて、「それだから」と母さんが言った。

「まったく、ドジだよね」

 

母さんがパートへ行くため、先に家に出る。僕がご飯のあと、部屋に戻ってのんびりしていると、支度を済ませた母さんが二階に上がって来て、

「じゃあ、今度またゆっくり帰ってきなさいね」と声をかけた。

「あ、うん」

そのまま慌ただしく、一階へ降りると遠くでドアが閉まる音がして、外で軽自動車が走っていく音が聴こえた。

僕はシャワーを浴びて、持ってきた服に着替えて、戸締りを見回ったあと、電車の時間に合わせて家を出た。

 

大糸線に乗り、松本まで。松本から特急に乗り換え新宿まで。

電車に乗りながら、何度か瑞希のことが頭をよぎった。

特急で、通路を挟んだ窓側の座席で、瑞希と同じ年ぐらいの女の子が首を右肩へ傾け、眠っていた。その寝顔が、トンネルに入るたびに、僕が座っている側の窓に映り、なんとなく視界に入った。

 

小人のことが頭をよぎった。たしか「ルチェルナ」と名乗っていた。

僕は携帯電話で、「ルチェルナ」を検索してみた。何軒かのイタリア料理店がヒットした。その他に意味について書かれているものを探すと、イタリア語で『光』とか『灯り』とか、そういった意味らしい。

可愛い名前だなって思った。僕は小人のルチェルナのことを思い浮かべ、名付けたのはルチェルナのお父さんかお母さんかなって考えたりした。名前に意味を込めていると知ると、少し幸せの匂いがする。

 

通路を挟んで窓側の座席の女性は、いつの間にか目を覚まし、読書をしていた。

僕はトンネルを抜けた、窓辺の景色に目を移し、そして軽く目を閉じた。

 

新宿から京王線に乗り換え、調布駅へ向かった。

見慣れた京王線に乗ると、少し他人行儀な雰囲気を感じた。

それはきっと、気持ちがまだ田舎にいる延長にいるからだ。比較的空いている京王線の車内で、僕は無言で、窓外を眺めながら居心地の悪さを見透かされないよう、努めて無表情でいた。家に着くと、ポストに広告のチラシと宅配便の不在票が入っていた。宅配便は瑞希が送ってくれた野菜だろう。僕は部屋に入り、荷物を下ろすと窓を開け、少し緊張を解いた。遠い道のりのせいか、とても疲れていた。

僕は宅配便に連絡したあと、そのまま突っ伏し、眠ってしまった。

 

どこか遠くでインターホンが鳴っているような気がした。

もう一度、次は近づいて聴こえた。

「あ、は?」

僕はガバッと目を覚まし、ここが東京の自分の部屋だと確認する。

そして、今度は現実的に、部屋中にインターホンの音が鳴り響いた。

「はいっ」

「宅配便です」とドアの向こう側から声が聞こえた。

僕は体を起こして、ドアを開けた。

段ボールを持った宅配便業者の男が立っていた。五十代後半ぐらいの小柄の男性。特に愉快そうでもなく、不満そうでもなく「はい、どうも。こちらに」と言って、はんこかサインを伝票にしろと指さして依頼した。僕がサインすると、荷物を僕に渡し、「ありがとうございましたー」と、軽く会釈して去って行った。

僕は荷物を部屋まで運び、小さな丸机の上に乗せる。

荷物はやはり瑞希からで、段ボールの周りには「おいしい野菜。健康毎日」と緑色の丸文字で書かれていた。比較的大きな段ボール。僕はカッターで塞いでいたガムテープに切れ目を入れて、中を開けた。

中には大量のジャガイモと、ニンジンが二本、ナスが一本入っていた。ほとんどジャガイモだなと僕は思った。

僕は無邪気にジャガイモばかり掘り起こす瑞希のことを想像した。きっと色々野菜な野菜あったのだろうけれど、一番、ジャガイモを掘り起こすことが楽しかった瑞希は、結果、大量にジャガイモを持ち帰ることになったのだろう。   

そんな想像をすると、ちょっとホッとした。瑞希は相変わらず無邪気な瑞希で、楽しくやってるんだなと思えた。

問題はこの大量のジャガイモをどうするかだけだ。

 

父さんから電話があったのは荷物が届いてから一時間ほど経った頃だった。

「帰って来たかね」

「うん。もう、戻ってるよ」

「じゃあ、ちょっと出てくるか?」

一瞬面倒だと思った。さっき長い道のりを電車に乗り続けて帰ってきたところだったから。

「どこへ?」

「今、荻窪にいるから。来なよ」

荻窪? どこに行けばいいの?」

「一時間ぐらい?」父さんが訊いてきた。

「一時間あれば行ける」

「じゃ、一時間後に改札で待ってるから」

「分かった」

電話を切ったあとに、なんか疲れた、寝ていたい、ジャガイモでも眺めてボーっとしていたい、なんで行くって言ったんだろう、こっちへ来ればいいのにと、一通り不満を巡らせながら、僕は簡単な準備をして部屋を出た。

荻窪に行くのにバスに乗ろうかとも考えたけれど、再び京王線に乗り、新宿へ行って中央線に乗り換え荻窪に向かった。座席に座りながら「また電車に乗ってる」と思った。

 

 

不器用なアナログレコードの挑戦

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