奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第八章・その②

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僕とスギヨシは店を出て、スギヨシの車でドライブに出ることにした。駐車場へ向かう道のり、並んで歩くスギヨシは中学の頃よりガタイも大きく、背も伸びていることに気付いた。僕がそのことを指摘しようと思っているときに、スギヨシが「栗ちゃん背伸びた?」と訊いてきた。僕は「きっと伸びた」と答えた。きっと伸びてる。

少し離れた駐車場にトヨタの黒い四駆が停めてあった。

「これ?」

「そう。中古で買っていろいろいじったんだ」

「本職だもんね」

「楽しいんだ」

 

車内に乗り、運転するスギヨシと話しながら、少し不思議な気持ちになった。中学の頃のスギヨシは当たり前だけれども車なんか運転しなかった。久々に再開したスギヨシは体が大きくなって、乗り心地のいい中古の四駆を当たり前のように運転している。僕の印象からしたら、あの中学生のスギヨシが唐突に大人になり、四駆を運転できるようになっているという感じ。

「変な感じ」と僕は聞こえるように呟いた。

「なにが?」とスギヨシが訊いた。

「だってスギヨシ、車の運転してんだもん」

「なんだよそれ」

「大人になったんだねー」

「お互い様だろ」

 

車は少し離れた市営球場の駐車場に停まった。

球場の横にはマレットゴルフができる専用の場所があって、何人かの老人がプレイしていた。僕がポカンと老人たちの様子を眺めていると、「栗ちゃんも心配して連絡くれたと思ったんだ」とスギヨシが言った。

「ん? 心配? なにを?」

「事件のこと。知ってるでしょ?」

「事件のこと? ん?」

そう言えば広瀬君が電話で事件がどうだとか言ってたようなと、頭の片隅によぎった。

「なんだ知らないの?」

「うん。なに事件って?」

「うん、三年前の話なんだけど。俺の爺ちゃん殺されたんだ」

「……え?」

一瞬、なにを言われているのか分からなくなった。殺された?

「自転車でスーパーへ行った帰りに、他県から来た若い奴三人組の乗った車に轢かれたらしい。爺ちゃんの財布は盗まれていて、後頭部に打撲跡があった。つまり、轢かれたあとに殴られて死んだんだ」

スギヨシは今朝の御飯のメニューを答えるようにサラッと言った。きっと説明し慣れているんだろう。僕はなにも言葉が出てこなかった。

「こっちの地方ニュースで放映されて、ちょっと話題になったんだ」

「そうなんだ。知らなかった」

「財布には四千円しか入ってなかったんだぜ。犯人はすぐに見つかったんだけどさ。殺すつもりはなかったとか言っててさ」

毎日のように誰かが亡くなったニュースはテレビで流されているけれど、まさか同級生の祖父が殺されたという事件が、実際に起きたということが、どこかで信じられなかった。 

だけど、実際に事件は起きて、それは作り話じゃない。

「ごめん。なんて言っていいのか」

「いや、俺もね、よく分からないんだよね」

「ん?」

「腹も立ったし、未だに納得できないし、色々な人から色々訊かれるんだけどさ、俺は爺ちゃんでもないし、犯人でもないしさ。ただそのことが実際起こったんだっていう事実だけが、ずっとその位置に留まったまま、ポカンと浮かんでるような気分でさ。俺がなにかしたわけじゃなく、なんだか周りが「そう言った眼」で見てるような気分とかさ。別に爺ちゃんのこと考えてないときだってあってもいいわけじゃん。だけど、すぐにその位置へ引き戻したくてしょうがないって人とか出てくるんだよな」

僕は、スギヨシの話を聞きながら緊張し、頷いた。

「色々あったよ。変な宗教とか勧誘に来たりさ。ほら、一時期話題になったサンセット会とかも来たんだぜ。『一緒に考えて、一緒に幸せになりましょう』ってさ」

サンセット会は、いわゆる新興宗教で、宗教を隠してイベントを開いたり、訪問販売でやってきて、巧みに囲い込みをして、搾取するやり方が一時期問題視されたことがあった。宗教を隠した商品の広告塔に若手お笑い芸人や、モデルやフリーアナウンサーが多数登場していて、テレビのワイドショーは誰がかかわっていたかを暴いては、「危険ですねぇ」と訴えていた。そこまではまだ良くて、その集めた資金を元手に暴力団との繋がりが表ざたとなり、何人かの逮捕者が出たあと、サンセット会幹部の謎の不審死が続き、いつしかテレビで取り上げられる回数が減っていった。

「また良いこと言うんだ。グッとくる。あれ、ズルいよな」

そう言うと、スギヨシは運転席のドアを開けて、外へと出た。

僕も外へと出た。

スギヨシは煙草を取り出し、火をつけた。

「車内は禁煙なの。栗ちゃん煙草は?」

「吸わない」

「おー、健康的だねー。知ってる? サンセット会ってなくなったみたいに言われてるけど、名前変えて活動してるんだぜ」

そう言うと、スギヨシは煙草の煙を思いっきり吐き出し、

「やだやだ。ゲスいねー。話題が」と言った。

 

僕は、なにかスギヨシに言わなきゃと考えた。考えた末、瑞希の顔がよぎり、こんな言葉を口にしていた。

「人間は弱い。必ずミスをする。だから、まだ諦めない」

「ん?」

「いやさ、東京の友達が、物凄く将棋にハマった時に、口癖のように言ってたんだよ。『人間は弱い。必ずミスをする。だから、まだ諦めない』って。名人かなんかの受け売りの言葉なんだろうけどさ。負けそうになるとブツブツブツブツ。ふと、思い出してね」

瑞希が将棋にハマった時、念仏のようにこの言葉を口にしていた。

僕はその当時、暇があれば、棋譜を見て駒を並べる瑞希に時間がある限り付き合った。

「結局、その子は、『人のミスを待つのって、私には合わないかも』って、将棋辞めちゃったんだけどさ」

瑞希は真剣に悩んだ末、将棋の世界を捨てた。目にクマを作り、幾日も徹夜をして、僕の部屋でネット将棋を打ち続けた。そうは言っても、一か月程度のことだった。が、その打ち込む真剣さには、相変わらず感心した。

 

スギヨシはしばらく、煙草の煙が空へユラユラ登っていくのを見つめていた。

「なんか来た。俺、弱ってんだな。人間は弱い。だから諦めない」

スギヨシは、自分なりの解釈で、瑞希の言葉を受け入れていた。

人間は弱い。だから諦めない。

 

市営球場は、その広さを主張していたが、田舎の景色の中では、まだ謙虚さが感じられた。スギヨシは、なにか真剣に考えを巡らせるような表情をして、しばらくタバコを吸っていた。マレットゴルフの老人たちの声が遠くで聞こえ、静寂にささやかな色合いをもたらしていた。

僕は、また瑞希のことを考え、夢で見た小人を思い出し、そして空っぽだった。

 

僕達は車に乗り込みドライブへ出た。

中学校の前を通り、長い通学路を思い出した。クマに襲われないように鞄に鈴をつけて、通学していた。記憶が鮮明になり、まるで今の出来事のように距離が縮まる。

僕達はお互い誰が好きだったかを話し、その子の家の前に行って二分ずつ車を停めたり、学校の前で車を停めて部活をしている中学生を眺めたりした。

「昔さ、教室の窓から外とか眺めたとき、真昼間からブラブラしてるおじさんとかいたじゃん、あいつらなにしてんだと思ってたんだけどさ、まさか俺達だったとはな」

と、スギヨシがグランドを眺めながら言った。

「なってみて気づく衝撃的事実だね」

「意外と悪くない」

「うん、悪くない」

 

車はアートラインを一周して、少し走らせた先の、左右が田んぼのただっ広い道路の脇に入り、停車した。

夕焼けが南アルプスを照らし、空の色がオレンジ色に染まっていた。そのオレンジを纏った雲が横に広がり、僕を開放的にさせる。

「気持ちいいね」と僕が言うと、

「うん」とスギヨシが答えた。

スギヨシは、道端に咲いた花を幾輪か摘むと、車を停めた数メートル先の道端に手向けた。その行動はどこか手馴れていて、自然に見えた。

「ここが事件現場」

「え?」

「たまーに来て、ボーっとするんだ。いい場所だろ」

そう言うと、スギヨシは近くのブロックへ腰かけて煙草に火をつけた。

僕はもう一度スギヨシが言っていたことを頭の中で繰り返した。「ここが事件現場」あの、お爺さんが殺害された事件現場。ここが? 僕はどう答えていいのか戸惑い、「うん。まあ」と曖昧な返事をしていた。

「納得がいかないことが起きてもさ、それを抱えてかなきゃいけないんだってさ。なんなんだろうな」

「そうだね」

「取り返しのつかないことはあるんだ。それをいつの間にか、なんとなく知っててさ、気がついたら傷ついてるんだよ」

「うん」

「やだね、ヤダヤダ」

僕はスギヨシのしたように道端に咲いてる花を一輪摘むと、事件現場へ手向けた。

スギヨシは、煙草の吸殻をポケット灰皿に押し込むと、小さく微笑み、夕日に向かい伸びをした。

「じいちゃんのこと訊かれるたびにさ、煩わしくなったりさ、でも、そういうのどこかで自分でも傷つくんだよな。んで、一人でここへ来てじいちゃんに謝るってかさ、してたら、ほら、綺麗だろ?」

スギヨシの視線の先で真っ赤に沈む夕日が、ジワジワと辺りを紺色と赤色の境を作り、空を純化させていく。その周りの雲がオレンジを纏い幻想的に世界を包んでいた。

「綺麗だね」と僕は言った。

 

「俺、栗ちゃんのこと羨ましかったんだぜ?」

「え?」

「栗ちゃん絵上手かったじゃん。美術の授業で先生に褒められたりさ」

「ああ。だけれど突出していたわけじゃないし、今ではなんの役にも立ってない」

「俺、一瞬で挫折したけど、マンガ描きたかったから、羨ましかったんだ。褒められたかったなぁ」

「そうなんだ。知らなかった」

他人の中に存在する僕。僕はスギヨシの中に残っていた僕を聞かされる。少し不思議な気分だった。

「でも、結局うちの仕事手伝ってたらさ、楽しくて。そりゃ、楽しいだけじゃないけれど、覚えていったことが無駄になってないのが嬉しいんだ」

「いいね。なんか」

「なにが?」

「僕はスギヨシが羨ましいよ。僕は結局、どうしたらいいのか分からない。たまにそのことでとても寂しくなる」

「寂しくはなるな俺も。嫁さんほしいなー」

「好きな人はいないの?」

「いるよ。うちの工場にさヤクルト届けに来るお姉ちゃんが可愛いんだ。遠くから眺めてるだけなんだけどね。中坊みたいだな」

「僕もだ。遠くから眺めてる」

「栗ちゃんが言うまで小人のことも思い出しもしなかったな」

「小人が出てきたから今、スギヨシとドライブしてるんだよね」

「そうか、俺もまた小人の夢みたいな」

 

僕達はなんでもない話をして、なんでもないことに笑った。

それが大事だった。

 

田舎の夜はあっという間に真っ暗で、星が空全体へと広がっていた。僕達はしばらく当てもなく車で走り続け、家まで送ってもらい別れた。

 

 

その日の夜、また不思議な夢を見た。しかし、今度は小人のルチェルナは出てこない。僕は夢の中で、暗闇に追われていた。

闇の中で、闇が襲ってくる。そこに実体はない。ただ、暗闇の中、僕がなにも前が見えない状態で、覆い尽くされそうな圧力のような、目に見えないものからひたすら逃げている。僕は、喉がカラカラに乾き、息をすると針を飲みこんでるような痛みが走った。

グゥゴゥゴゥゴゥと、地響きとも、地中にいる巨大生物のイビキともとれそうな不穏な音が、その圧力とともに僕に迫ってくる。

殺される。死ぬんだ、今から。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

と、限界を感じたその瞬間、襲いかかってきていた闇は、突如消え、無音になった。

静寂。僕は、立ち止まり、息を整える。全く何も見えない暗闇の中、手探りで身体を確かめると、僕は裸だった。聴こえるのは、僕の乱れた息遣いのみ。

いや、僕の息に混じり、また別の息遣いが聞こえる。僕は耳を澄ます。

確かに、小さく、どこからか規則的な息遣いが聴こえる。これは、寝息だ。

その寝息は、足元よりずっと下の方から聴こえてくるようだった。

僕は闇の中、その寝息に耳を澄ませ、そして、この前見た瑞希の寝顔を思い出していた。

寝息は、暗闇からの孤独を励ますように、僕を落ち着かせた。

僕は闇の中で座り込み、このままでいいと思い始める。もう怖いのは嫌だ。

と、その瞬間、寝息は止まり、また静寂が訪れた。

「ねえ、私が死んだら泣いてくれる?」

「……え? 瑞希ちゃん?」

瑞希の声が聴こえ、僕が体を起こし立ち上がると、突然、闇の底が抜け、僕は闇に吸い込まれていく。ものすごい速さで落ちていく。混乱。ダメだ。死ぬのだ。

そう思ったとき、目が覚めた。

 

実家の天井。僕は、しばらく天井を見つめながら、夢であることを確かめていた。

実際の光、実際の気温。実際の息遣い。

 

携帯電話を見ると、スギヨシからメールが入っていた。

「小人の夢を見たよ。なんだか喜んでた」

そうなんだ。良かった。と僕は素直に思った。

 

 

妹と猫

妹と猫