奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第六章・その②

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食事を終えて僕は昔使っていた二階の部屋へ行った。部屋の中は整理され、机と椅子、空っぽの本棚に畳の上には母が敷いてくれた布団。

部屋は整理されてはいるが所々に昔の僕の残骸のようなものが転がっている。昔ポスターが貼ってあった壁の周りに日焼け跡が残っている。窓辺のカーテンはシンプルな紺色で昔のまま。押入れを開け、ダンボール二つに僕の私物がまとめられていた。

 

鞄の中で電話が鳴っているのが分かった。携帯は鞄の中に押し込まれたままで、取り出すのに幾らか荷物をかき分けた。

着信を見ると瑞希だった。瑞希

僕は慌てて電話に出た。

「こんばんは栗田君。元気?」

「うん、元気だよ」

僕は嬉しさと照れのようなものが同時に駆け巡る。だけど、どちらも口にすることをこらえた。実家で耳にする瑞希の声が時空を歪ませる。

「私ね、今ね、野菜作ってるの」

瑞希は相変わらず自分の話したいことを率直に口にした。

そのことに僕は幾分慣れていたし、その居心地は悪くなかった。

「野菜? どこで?」

福井県の農業体験合宿っていうのに参加してるの」

「農業体験?」

「そう。とっても楽しいのよ。体験って言っても収穫の手伝いとか、その採れた野菜を使ってみんなで料理したりするの」

「そう、楽しそうだね」

「うん。でね、野菜を沢山もらえるの。栗田君に野菜送ってあげるね」

「どうもありがとう。楽しみにしてるよ」

瑞希は相変わらず元気な声で、明るい歌でも聴かされているように僕の気持ちを引き上げてくれる。瑞希に宅配の伝票を書いてるからと住所と都合のつく時間帯を聞かれ、明後日の夕方を指定した。

「明後日? 明日じゃダメなの?」

瑞希はすぐに反応が知りたいようだ。気持ちが盛り上がっているのだろう。

「今、実家の長野にいるんだ。すぐ戻るんだけど」

僕がそう言うと、瑞希は「なーんだつまらないわ」とでも言うように、

「そう、色々あるのね」と言った。

「うん、色々ある」

「それじゃ、また連絡するね。住所ありがとう」

「あ」

「ん? なに?」

僕はなにかしら瑞希に伝えなきゃと思った。君から連絡が来て嬉しいとか、連絡がなかった期間とても寂しかったとか、「不在感」についてだとか色々と。だけれども、咄嗟に口から出た言葉は、

「元気な声が聞けて嬉しいよ。本当に。楽しそうで良かった」

これが精いっぱいだった。

瑞希は特に声色を変えず、「うん。楽しい」と言った。

「じゃ、また」

「うん、またね」

電話が切れたあと、僕はしばらくその余韻の中にいた。

瑞希の声が聞けた。それがなによりの収穫だった。

 

近くに聴こえる虫の声につられて外へ出た。

虫の鳴き声と、水の流れる音を聞きながら田んぼ道を歩いた。人通りはなく、街灯もわずかな暗がりの道。夜空の月明かりが青白く優しく、存在感を示していた。そして、瑞希は元気なんだなと思いホッとした。僕は自らの「不在」の中、なにかが満たされていくのを感じていた。

心が少し震えた気がした。

 

その日の夜、僕は久しぶりに小人の夢を見た。

 

 

 

足音にロック

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