奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

ルチェルナのこと 第六章・その①

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父さんの声には特に深刻な様子もなく、どちらかと言えばあっけらかんとしていて、なぜか少し被害者意識が滲んでいた。

「お前今、忙しいの?」

「え、父さん? ちょっ、ちょっと今、どこにいるの?」

「いや、お前の家に来たんだけどさ。お前はどこにいるんだよ」

「は、え? 父さん東京にいるの?」

僕は驚き、少し声を張り上げていた。そのことに気付き、まばらなホームで待つ人々を避け、さらにホームの先へと歩いた。

「うん。遊びに来たんだけど、携帯電話忘れてな。で、財布にお前の住所と電話番号のメモが入ってたから直接訪ねたんだよ。今」

「あのね、今実家に戻ってる最中なんだよ」

「え? お前そんなこと一言も言ってなかったじゃないか」

それはこっちのセリフだと僕は思った。

「母さんが父さんが帰って来ないって心配して電話かかってきてさ。んで、心配して戻ってきたんじゃないか」

「ああ、うちの電話番号分からなかったんだよな。あのさ、母さんに心配すんなって言っといてよ」

父さんは、僕が東京にいないことも、なぜ長野にいるのかも、そして、どうしてそうなったのかも含めことの流れを理解した上で僕に用事を頼んだ。

「いや、言うけどさ。で、いつまで東京にいるの?」

「ああ、いやお前と飯でも食べようと思ってさ。いつ戻るの?」

「なんだよそれ」

「まあ、二日ぐらいホテルとか泊まってブラブラしてるから。お前もそっちで二日ぐらい親孝行してこいよ」

「え?」

一方的な提案。親とはいつもそういうものと思い出した。

「じゃ、また電話するから」

そう言うと電話はプツンとロープを切るように終わりを向かえた。肩透かしな気分と理不尽な気分が天秤にかけられたように揺れた。唖然。

僕は松本駅のホームで立ち尽くし、「ふむむ」と声とも吐息とも取れる音を出し、ムズムズする感情を反らした。

 

発車時刻が近づくと徐々にホームに人が溜まってくる。遅い時刻なのに幾人かの学生も混じっていた。

僕は少しの間、その理不尽についてどう訴えるかについて思考が奪われていたが、「そうだ」と思い立ち、心配してる実家の母さんへ電話をかけ、父さんの無事を伝えた。母さんは「は?」と言ったあと笑った。

そうか笑うのか。と僕は思った。

それと同時に僕の気持ちも少し和らいだ気がした。

「で、あんたは今、どこなの?」

「もう松本に着いちゃったよ」

「え?」と母さんはまた驚いて、そして笑った。

僕も笑った。

 

しばらくして電車が到着した。久々に乗る大糸線の車内は、昔よりも狭く感じた。

過ぎてしまえばそれらはすべて、今に吸収される。

安曇追分駅で降りる。この時間駅は無人になっていて、ホームに出た途端、東京からはずいぶん離れたことを実感する。水の匂い。静けさ。闇の深さ。星空。月明かり。

暗がりの道を三十分近く歩く。緩やかな坂道をゆっくり上っていく。誰も歩いていない。

 

二階建ての小さな一軒家に灯りがついている。

そこが僕の実家だ。

「ただいま」

「おかえり」

当たり前のように帰る場所。当たり前のように迎えられ、僕は少し過去の僕を探し、演じる。少しだけ緊張がよぎる。

玄関で靴を脱いでると、キッチンから母さんがやってきて、

「まったく、父さんも困った人だよねー」と言った。

「まあ、無事でよかったじゃない」

 

居間に入るとテレビがつけられていた。

食卓には既にいくつか皿に盛られた料理が用意されていた。

「急いで作ったから」

と言いながら母さんがまだ料理を運んでくる。

唐揚げが出て、肉が焼いてあって、油揚げが入った味噌汁と茶碗蒸しが出た。子供の頃好きだった食べ物がずらりと並んでいる。

キッチンへ戻り、なおも料理をしようとする母さんに言った。

「そんな食べられないから」

もてなしを感じながら「子供」の僕と対峙する。

 

母と二人向かい合っての食事。特に話すこともなかった。最近のことを聞かれるのも、これからのことを聞かれるのもなんだか照れくさかった。

どこか距離を保っていてほしいと、それだけだった。

テレビではニュースが流れていて、一向に減らない詐欺事件について専門家が当り障りのないコメントを口にしていた。

すると、母さんが「詐欺と言えば、うちにもかかってきたのよ」と言った。

「なにが?」

「お金振り込んでって詐欺。あんたを名乗ってたよ。こんな年金とパートで暮らしてる家にかけてきたってねぇ」

と言って母さんは笑った。

いわゆる「振り込め詐欺」。息子や家族を名乗り「突然大金が必要になった」と被害を訴え、お金を振り込ませるという手口の詐欺。まさか僕の名前を名乗って詐欺をしている奴がいるなんて考えもしなかった。

「それでどうだったの? まさか払った?」

「まさか。でもね、頭真っ白になるねあれ。最初ね、あきらかに声が違うし、どちらさまって訊いたの? 車をぶつけてお金を請求されてどうとか。緊迫している感じで、それだけで焦るんだけどさ、あんた車持ってないでしょ? なのに『僕だよ由克だよ』って言われて頭真っ白になってね」

「で、どうしたの?」

「あとでかけ直すって切れたあと父さんに言ったの。そしたら父さんがあんたに電話して。あれ? 聞かなかった?」

「え? うん」

父さんからの電話と言えば、この前の「どうだねそっちは」だ。あのときの電話はそういうことだったんだ。なぜそういうことをいちいち説明しないのかと少し理不尽な気持ちになったが、基本的に父さんに悪気はない。それは知ってる。

「で、もう一度かかってきたときに父さんに代わったら、大声でいい加減にしろって怒鳴ってね」

「怒鳴ったの?」

「そう、珍しく。それから電話はかかってきてないけどね」

「ふーん」

父さんが怒鳴ったんだ。と僕は素直に思った。

「あんたね、困ってもうち、お金ないから電話しちゃダメよ」

そう言って母さんは笑った。

 

 

くらげ

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