奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

なんでこの人は、僕に嘘をつかないといけなかったのだろうか?

 

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なんでこの人は、僕に嘘をつかないといけなかったのだろうか?

と、思ってしまうところがある。

ということは、目の前で嘘をつかれていても、大体、

「へーそうなんだ」

と信じてしまうということなのだけれど、うちの奥さんなんかは、とても客観的に、

「前こう言っていたし、こういう都合があるから、こういう誘導でそんなこと言っている可能性が高いよ」

なんて、指摘してくれたりする。

「あー、なるほど、それは怖いね」

なんてまた、僕は納得するのだけれど、そういった意味で、僕は随分ついているなぁっていうのはあります。

 

「映画を作りたいんです。話を聞いてください」

なんて言われて、行ってみるとマルチ商法の勧誘みたいなものだったときも、僕は話がすり替わって罠にはめられそうになっているのすら気づかずに、「それは得だなぁ」なんてなって、で、一緒にいた友人が、

「なんか興味ないね」

と、言ってくれたので、

「お、興味ないかも」と僕も思ったりして。

 

そういうことがいっぱいあった気がする。

本当にやばい時には誰かや何かが「ゆるり」と誘導してくれてる気がする。

 

何で僕に嘘をつかないといけないのか?

まあ、一括りに相手の「弱さ」なのだろうけれど、あと「都合」とか。

けど、「僕に」嘘をつかないといけない理由はやっぱり今一つ理解が出来ていなかった。何か得することがあるのだろうか?

って。そう思うのは、たぶん、自己評価が低かったのだろう。

でも、よくよく考えると、やっぱり得することがあったんだと、

奥さんが説明してくれて理解する。

「あー、なるほど」となる。

 

誰かが僕に嘘をつくということは「ありえる」ぐらいの認識は出来るようになって、それでもどこかで「好きにすればいい」と思ってる。

 

それはどういうことなのだろうか?

 

たぶん、僕は何気に短気なので、平気で切り捨てることが出来てしまうからかもしれない。

「あ、そうなんだ。じゃ、いいや」と。

 

それでいいのだろうか? 

 

でも奥さんは、

「二度までは許そう」と言うので、

僕も最近は「二度まで」とは思ってる。

 

素直で呑気な短気なのだ。

 

 

エイプリルフールに百歳で死ぬということ

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