奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

いくらでも物語が書ける。

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今朝、通勤でバスに乗ったらいつもガラガラなのにパンパン。

「うわっ」

と、思いつつ無言で乗り込む。

なんだろ。

理由を探ろうとなんとなしに辺りを見回しますが、観光客でもないしイベントでもない感じで。えー、わからない。

と、思いつつ、停留所でブザー鳴らして、通路の人かき分けて下車。

なんだったんだ。

スタスタ駅のほうへ歩くと、いつもより人が多い感じ。

日曜ったって、いつもはもう少しのどかなのになぁって、だけど駅へ着いたら理由がわかりました。

近くで、事故があって電車が止まっていたんです。

 

ホームにガラガラの電車が停まっていて、とりあえず乗り込む。

けど、発車の様子はありません。

ツイッターで状況を調べると、すぐにわかりました。

事故にあった方は命に別状はないとか、現場の写真とか、それぞれの足止め状況とか。多くの人がじっとスマホを眺めている。車内はとても静かだけど、近くにいる誰かしらの気持ちはネットで読めちゃったりできる。

職場には連絡を入れて、僕もじっと座って発車するのを待ってました。

 

最近、時間がないとか言っていたのに、唐突に時間を持て余す感じに。

そうなってくると色々と反省するもので、そうだなぁ、退屈や行動を奪われるのもそれはそれで辛かったなぁとか、時間があればあるで、ダラダラしちゃったりしてたよなぁとか。で、じゃあ今、この時間を有効にするのかって言ったら「なんかなぁ」って思うし。そうかそうか、そんなもんさって。

ということで、kindle出して、手塚治虫の短編集を読み始める。

ちゃんと面白い。

二作ほど短編を読んだ後で、「面白いけど、」と考え始める。手塚治虫は勿論、沢山の傑作を残していますが、それ以上に大量の有名じゃない作品も残しています。今回読んでいる短編集もどちらかといえばマイナーな方で、もう六十年ぐらい前の作品。面白い。けど、本当に濃い内容を数ページでまとめているので、「次の」って行くと、また濃い内容が面白く、一瞬で前の作品が通り過ぎていく。短期記憶。

キャラではなく、エピソードな感じ。「ほほぉ」ってちゃんと満足もする。

最近、この「三分で一作」な手塚治虫が丁度よくって、一作読んで、しばらくポカンとしていると心地いいんです。

昭和の初期の漫画ってそれこそ、月刊誌で、八ページぐらいで一作だったから、そういうペースでも満足できるものなのかもしれません。

八ページで一か月噛み締められるもの。

 

手塚治虫が、「アイデアで悩むって、それが分からない」みたいな言葉を残してて、その意味をずっと考えていた時期がありました。

そして、それを考えていると、「いくらでも物語が書ける」ような気になりました。

つまり、物語を作ること自体は、それほど難しいことではないし、いくらでもヒントは転がっていると。アレンジすれば別のものになるし、視点を逆にするとか、これとあれを結び付けるとか、それは大きな問題ではないんだと。

でも、その物語に入れる「核」みたいなものが、強くなくっちゃ、物語が成立していようが、個性的なものにはならないんだろうなってことは痛感しました。

匂いみたいなもの。

 

いつ発車するんだろ。

 

だんだんと席も埋まってきました。

横に座った女の子が、たまに「シュポッ」と鼻を鳴らしている。

鼻炎なのかしら。

 

二時間弱経って、電車が走りだしました。

そういや、手塚治虫は平成元年に亡くなったから、もう三十年かぁ。

令和です。

平成も終わりますね。

 

 

恋すること

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