小説kinema

小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

コロコロ変わります。

 

 

何となく遊びで頼まれた文章を、さささっと書いて、印刷して渡した後に「誤字発見」という……。

「ちゃんと」を「きっと」と書いていた。

しかしまぁ、それも面白いかもと思いはじめる。

そういう起きてしまった事の「現象」も楽しいのではないのかと思えたり。おやおやと思うのも、いや、もしかしてと思うのも面白いし、これを言ったほうがいいのか、気づかれるのを待つのか、とか、そういう解釈があってもいいのかもとか、勝手に僕の頭の中で膨らんでいったので楽しいです。

 

しかし、まあ、気分がコロコロと変わります。影響を受けやすいのでしょう。

感心したり、感動したり。だから、掌編を書くのが一番向いていると思うのですが、不器用なので、長編に入ってしまった今は、「それが終わっていない」という気分で、他のが書けないでいます。

長編はお話の内容は決まっているのに、文体とか、行動とか、セリフに「その範囲の中での色々な小説」が入ってしまいます。気分がどんどん変わるのです。で、きっと推敲時に、いっぱい減らしたり書き直していくのですが。

しかし長い(文章がじゃなく、期間が)。でも、これで良いんだろうなとも思います。

 

たまーに、これは今書いておこうっていうのは書いておきます。

毎日、なにかしらの文章を書きながら、読み返して、そうか、違うなと思ったり。

そもそも「違う」ってのも「違う」だろうと思ったり。

 

若林正恭・著「ナナメの夕暮れ」がむちゃくちゃ素晴らしい本でした。

自意識、承認欲求、自己顕示欲、生きづらさ。かなり、時間をかけて辿り着いたであろう言葉や考察が、さらりと書いてあったり、グサリと刺さってきたり。凄く正直な本。

 

最近色々な意味で「正体」が暴かれていくような感じもあったり。

そもそも「幻想」だったのじゃないかとか、「考え方」だったりすることに対して、物凄く正直な考察を目にする機会が増えた気がしているのは、そういうものが今の僕には重要なのかもしれないです。僕も受け売りを気づかずに、文章にしている場合も多々あるし、それはそれで恥ずかしいし、恥ずかしいと気づくのも面白い。

期待とか、評価とは別の部分がうずうずしているのは凄く嬉しいです。

掘りたい。深く。けど、

もっと、色々なことを楽しめるようになりたいなとも思います。

 

 

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

 

 

妹と猫

妹と猫