奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

受付の熊谷さんはおかしなことを言う

 

 

 九月もそろそろ終わりに近づき、少しずつ涼しくなってきた。

 私はまだ、相変わらず、「病の中」にいる。

 

 息子が事故で亡くなってから、そろそろ二年になる。

 四歳だった。

 随分と、取り乱すこともなくなったし、日常生活に悲しみを持ち込むようなことも無くなったと思う。けれど、そんな日々で主人にも内緒にしていることが一つある。

 私は平日に、ぶらりと街中へ出ては、「息子の欠片」を捜し歩いているのだ。

 

 例えば、二駅ほど先で下車して、街を歩く。

 知らない店に入り、店員に聞くのだ。

「あの、さっきそこのレジの後ろに小さな男の子いませんでしたか?」

 ほとんどが、「いや、見かけませんでしたよ」というような返答があるのだけれど、たまに、

「そういえば、小さな男の子、走っていきましたね」

 なんて言われるときがある。そうすると、私は「ありがとうございました。もう、すぐどっかいっちゃうんです」なんて言って、息子をまた捜しに行く。

 おかしいのは承知している。ただ、そのおかしな時間が、私を唯一、まともに引き戻す手段なのだと感じていた。大丈夫、いつか諦める。そう自分で思いながら、もしかしたら、いつか見つけられるかもしれないと、思っている自分もいたりする。病の中。

 

 その日は、大きな駅で降りて、しばらく歩いた。

 めぼしい店を決められぬまま、市営の美術館に辿りついた。

 あまり込んでいる様子も無い静かな館内。私は、そ知らぬ顔で歩き、受付へ立ち寄る。

「あの、すみません」

「はい。あ?」

「え?」

「いえ、はい?」

「あ、すみません、こちらに小さなミニカー届いていませんか? 子供が落としちゃったみたいで」

「ああ、少々お待ちください」

「あ、はい」

 あるわけない。落としていないのだ。しかし、受付の女性の態度が少し、変だった。私を見て、何かを思い出したような素振りを一瞬見せた気がした。

「あの、こちらでしょうか?」

 受付の女性が、黒い小さなミニカーを差し出した。

「え?」

「貸し出し用の乳母車の中に置き忘れていたみたいです」

「ああ、はい、これです」

 と、思わず嘘をついてしまった。そして、

「これがないと大騒ぎして、家中泣きながら色々なものをひっくり返すものですから」

 と、嘘を重ね、受け取った。

「良かったです。この前も、大騒ぎでしたもんね」

「え? はい……」

 え? この前?

「びっくりしましたよ偶然で」

 受付の女性が、なおも続けた。偶然? 何が? 私は戸惑いつつ、受付女性の制服につけられている名札を見た。「熊谷」。ん? クマガイ、クマガヤ、どっちだろう? と思い、

「ホント、びっくりしましたクマガァィさん」

 と、どっちとも取れるような発音で、ごまかした。

 私は、ミニカーを受け取ると、

「ありがとうございました」

 と、そそくさと美術館を出てきた。

 熊谷さんは、帰り際、

「また行きましょうね」

 と、言っていた。

 

 しばらく歩いてもまだ心臓がドキドキしていた。

 受付の熊谷さんは、明らかに、私を誰かと間違えている。もし、そうじゃないとしたら、また別の世界の私と知り合いでいて、そこの私には、ちゃんと息子が生存して生きている。という話なのだろうか? いや、そんなわけがない。

 私は、ミニカーを握り締めながら、あのキョトンとした表情で、私を知り合いと思って話しかけていた、受付の熊谷さんが頭から離れないでいた。

 そして、息子がいるかもしれない、生きているかもしれないと、ミニカーの感触を確かめていた。

 勿論、そんなわけないことは知っている。

 

 その日の夜、不思議な夢を見た。

 息子がミニカーで遊んでいた。そして、夢中になりすぎて、道路まで飛び出した。私に事故の恐怖が過ぎった。また、あの子を失うの? と、そのとき、受付の熊谷さんが自転車で飛び出してきて、唐突に転んだ。と、思ったら、特に気にする様子も無く、

「あら、偶然?」

 と、私を見て笑った。

 そして、息子に気づき、

「こら、道路に出ないの」

 と、自分のことはさて置いて、注意し始めた。そして、

「また行きましょうね!」

 と、私に言って、車が来ないのを良い事に信号無視して、自転車で行ってしまった。

「……」

 ふと、息子を見ると、大泣きしていた。

 どうも、ミニカーがなくなったようだ。

「ああ、大丈夫、また見つけるから」

 と、息子をなだめているときに、目が覚めた。

 

 少し日付を置いて、私はミニカーを返しに行かなくてはと思い始めていた。

 もしかしたら、「もう一つの世界の息子」は本当にミニカーを捜しているかもしれないと。

 私は、伊達メガネをして、髪を束ね、また美術館へと向かった。

 

 美術館へつくと、受付の熊谷さんは他の受付の女性と話をしていた。

 しばらく、一人になるのを待ち、この前とは他の人物を装うつもりで、受付へと近づいた。

 せっかく変装したのだから熊谷さんに返してみたい。

「すみません、これ、ポスターがあるところに落ちていたんですけど……」

 と、言ってミニカーを差し出した。

「はい、ありがとうございます……あれ?」

 受付の熊谷さんは、また私を見て、反応を示した。私はドキッとした。バレた?

「この前、ご主人楽しそうでしたね」

 え? ご主人? また熊谷さんは、私を別の誰かと間違えている。しかも、前回とは違う人物と間違えてるようだった。市営の美術館だから、地元の知り合いもよく来るのかもしれない。

「はい、楽しそうでした。クマガァィさんのお陰ですよ」

 と、少し低い声色で言ってみた。

 そしたら、キョトンとした顔で、首を捻り、座った目をして口元に笑みを作っていた。

 どうしよう、今度は何か違ったみたいだ。

「ミニカー、落とし主が見つかるといいですね」

 と言ってお辞儀して、私は、そそくさと、美術館を出てた。

 熊谷さんは、無表情のまま、

「ありがとうございました」

 と、私に言っていた。

 

 受付の熊谷さんは毎回おかしなことを言う。言葉は少し呪いに似ている。

 慎重に選ばないと、誰がどこで影響されているかわからない。

 本人は軽はずみで言ったことでも、そこにどのような経験が隠されているかなんて知る由もないだろう。熊谷さんは主人が楽しそうだったと言っていた。

 私の中で、主人の存在が、唐突にクローズアップされた。

 熊谷さんは、主人を見て、何か言うだろうか?

 試してみたい……。

 私は帰り道で今度、主人と美術館へ来てみようと思っていた。

 そのときは、またミニカーが落ちていなかったか聞いてみよう。

 ちゃんと、息子の元へ戻っているといいのだけれど。

 

 

 

 

小さな僕がカナブンと消えた

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