奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

どうにもならない気持ち。

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 九月。

 暑さも和らぎ、過ごしやすい。

 空がいつもより青くて深い。

 

 いつもより長く歩いている。

 

 もうしばらくすると、枯葉が絨毯のように歩道を包むだろう。 

 

 どこかのラジオから天気予報が聴こえた。

 明るい女性の声だった。

 僕はその声の主を想像した。

 

 九月は好き。

 

とまあ、なんでもない文章なのですが、

もとはもっとどうにもならなくて、

どうも一年前に書いていたみたいで、

タイトルが「休憩」。

 

 

 九月はわりかし好き。

 ちょっと前までの「サウナで鍋」みたいな罰ゲームな暑さも和らぎ、過ごしやすい。

 空がいつもより青くて深い。

 雲は遠く。細やかな光を吸収している。写実的な絵画を見ているような感銘が僕の中で生まれている。素直さの刺激。

 いつもより長く歩いている。

 自然と、自発的に。

 夏が「暴力」なら、冬は「シニカル」。

 その間の秋は「休憩」と捉えても良いかも。

 

 刺激的で、揺さぶりがあって、我慢と、発散と、忍耐な夏を乗り越えた後の安堵。「まあ、とりあえず水に流そうぜ」とでも言われているような。

 

 陽射しの柔らかさ。風に揺れるクスノキの葉が軽やかなステップをしているのをサポートしている。ステップにスポットなサポート。

 とにかく「気持ちいい」。

 しかし、この後、寒くて、冷淡で、差別的な冬がやってくることを知っている。

 苦手な親戚のおばさん。シニカルババアが訪ねてくる予定を知らされたような気分。

 だけど、たぶん今はまだ、考えることではないだろう。

 休憩とはそういうもの。

 

 ふと、セミの声がしないことに気づく。

 たまに遠くで車が走り抜ける音がする。

 

 しばらくすると、紅葉が心地良い「紅」を図書館に馴染ませるだろう。

 枯葉が絨毯のように歩道を包むだろう。

 少しだけ寒さを感じたなら、たぶん、とっくに九月は終わっている。

 

 誰かが、「こんにちは」と言った。

 僕は座っていたベンチから立ち、

「どうぞお座りください」

 と、作り笑いで言った。

 

 どこかのラジオから天気予報が聴こえた。

 通学路にいるスズメのような明るい女性の声だった。

 僕は見ることの出来ない、その声の主を想像していた。

 

 まだ九月。

 わりかし好き。

 

 

 と、読めたものではないのです。

たとえとか書きたいのに失敗続きで、だからどこにも出さず、書いたことも忘れていたのです。で、削ってみたら、一番最初の文章だけに。

むむむ。

こういうのは落ち込むのだけれど、まあ、いいのです。

 

どうにもならない気持ちってのもまた、大事にします。 

むむむ。

 

 

不器用なアナログレコードの挑戦

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