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小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

「夢を諦める」問題と価値観の変化について。

 

 

価値観って変化するのは当然のこととして、良い方向へと動いているんじゃないのかなって思ったりしています。

例えば、映画にしても、細かいことを言えば「ビデオで撮ったものを映画とは言わない」なんて言う人がいました。映画はフィルムで撮ったもので、照明で影を演出して、映像美で魅せるものだ。とか、「映画は娯楽なのか芸術なのか」なんてことで議論していたり。

今にしてみれば、デジタルで映画を撮るのは当たり前のことだし、芸術にしろ、娯楽にしろ、作品のジャンルでしかない。いちいち対立して、白黒つけるような代物じゃないことぐらい、直感的に分かるんじゃないかと思います。そういうのは目的としては自分のやりたい方向性を主張して、引っ張りたいんですよね。だから、目くじら立てて、議論吹っかけてきそうな人を「ああ……」なんて、言って、距離をとるなんてことも自然と出来るんじゃないんですかね。今は。

価値観なんてどんどん変化する。

結局、創作においては特に残るのは、個人的な問題になってくる。どうしたいのか。

よくある、「それで食っていく」問題とかも変化していきそうなにおいがプンプン。「プロじゃない」からとか、「本業」とか、そういった価値観もたぶん変化していくと思います。

やりたいことがあって、やれるのなら、やっていけばいいのではないかと、とても単純な話に収まっていくのではないかと。

それこそネットや技術発展によって人手や予算を補える「自由な作品創りの場」が手に入ったのなら、そこで思いっきり表現していけばいいわけで、それが多くの人に見られるかどうかはまた別の話だし、お金に変換させようと思うかどうかもまた「個人の問題」になるのではないかと。

誰がいくら稼いでいようと、そもそも関係ない話なので。

何年もかけて、一作仕上げて、世に放つことは別に悪い事じゃないし、そういう「フェチ的」に少しディープに入り込んだ「他と違うもの」にこだわりをしていくことはとても良い事だと思います。

そういう作品が増え、「お仕事」な作品が、お粗末な印象になってしまった場合、「あいつはプロだから」って言葉自体が、少しこバカにする言葉として使われることもあるかもしれません。「一般向けレベルな無難なものを作る人」とか「節操がない作り手」とか。自発的ではないという意味で。

たぶん、僕がもう大人になって「将来」にいるからそんなこと思っているのかもしれませんが、まあ、色々と起きたりはするけど、実感として「将来ってのはなんとかなる」んじゃないかなってのがあって、そもそも、食うぐらいなら、なんとかできるだろみたいな思いもあります。

僕の周りには、六十代、七十代の人たちも多く働いていて、最近特によっぽど散財したり、変にお金のかかることに手を出さなければ「なんとかなる」って思いがとても強くなっていきました。

お仕事問題として創作を「諦める」みたいな思考も、なんかよく分からないんです。色々な事情があるのも分かるけど、「それも含めて」どういう活動をすれば楽しいのか考えてみて全然良いんじゃないかと思ってしまう。けれどまあ、「色々ある」のだろうから、議論をするつもりはまったくないのですが。

自主製作映画を創っていると「商業映画との違いを」なんて売り言葉を作ったりして、その商業映画にいると「日本映画界の危機」とか「ハリウッドと比べると」なんか言っていて、まあ、色々と対峙させたり、コンプレックスを抱えて、「違うものを!」なんて言ったりするけれど、僕の勝手な印象として、「不安」だと「団体」とか「コラボ」とか、「会」とか作って集まって、「不安のぶつけ合い」をして、自分たちの問題を「軽減」させようとするのではないかと。あわよくば、乗っかりたい。例えば「トキワ荘」に集まったレジェンド漫画家たちはそこで切磋琢磨して「青春」を送っていたけれど、そこに人を集めた「テラさん」は、とにかく不安を抱えていたのではないかって僕は思っていて、「不安定な漫画家生活だから、支え合う仕組みが欲しい」って。でも、レジェンドたちは「とにかく主観的」な天才たちが集まっていたので、「すぐお金使ったり」、「辞める」なんて言い出したりして、で、テラさんが「お金貸したり」、「励ましたり」また「貸したり」、と、疲弊し続けていた。で、案の定、テラさんはトキワ荘を早々出て、そして行き詰まってしまう。そんな予感があったんじゃないのかしら。結果、レジェンドたちに物凄く感謝されるのだけれど、本人の「孤独」は、それはそれは切なく。って妄想ですけれど。

だから「諦める」問題ってのは、基本的には「疲弊」が大きな要素としてあって、でも、その疲弊ってのは、価値観からなる「不安との対峙の姿勢」が要素として大きいと思うわけでして。

まあ、つまり今は良い時代だなぁって。よく思うのです。

動画アプリが出て、すぐ「遊んで」ネットにアップ。それが既に「創作的」なのですが、当たり前の日常として行われているんですね。

発表の場が既にあって、観てくれる人がいる。お金に変換する仕組みも増えていく。

お金に困っても機械化が進み、高齢者でも出来る「仕事」はいっぱいあるし、生活は出来る。

勤めるっていうのはそれはそれで「お得」なんですよね。

それに、きっとこれからも沢山の変化が起きていくのだろうなって。

単純に、楽しみなんです。

 

 

妹と猫

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