奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

物分りの悪さが物語作りには大事?

 

物分かりが悪い方のが、「物語」には有効な気がしていまして。

誰か有名な人も「頭が良すぎると小説家にはなれない」と言っていた気がします。

そう言われると、「そういやぁ、あんな頭よくって、小説書きたいって言っている人が、全然書けないっていうの聞いたことあるなぁ」って記憶がちらほら。

 

でも、知識は大事です。情報大事です。

僕は結構、知らなかったことで「ああ、失敗したなぁ」って思うことが多かった方なので、特にそう思います。

でも、「知識の活用」は物語を創作するときの起点に結構影響していくんだなぁってのはちょっと思い始めました。

 

例えば「聞き流したほうがいい話」と「話し合ったほうがいい話題」についての知識や、「あまり近づかないほうがいい相手」と「仲良くしたほうがいいタイプ」とか、何て言うか、うまくふるまうコツみたいな知識を身につけていくとします。

 

で、そういうのを貯めこむと、それらの状況が現れた時に、結構瞬時に「ああ、これは聞き流そう」とか、一回頭の中で、踏み込むことを止めてしまったりして。

そうやって聞き流して「はい、終わり。ストレスなしで良かったね」って感じで、済ませてしまった場合、その相手と対峙した時に感じる「物語性」を、僕自身から奪っているのかもと思ったんです。

かといって、「詐欺」だと分かっていて興味本位で突っ込んでいっても馬鹿を見ます。

 

じゃあ、どうするかっていうと、「妄想癖」が大事になったり、また、対応にも「変化」をつけると、また視点が変わったりして「面白くなるかも」って。

つまり、対応を「決めない」ことが必要な気がしています。

「うーむ……」って。

そこが意外と怖い。

別に「止めて」おいて、「あれこれ貯めこむ」とかでも良いけれど。

 

だから経験から「恐怖」が増え、いつのまにか不寛容になっていたっていうことなんですよね。

やっぱり寛容さと、慎重さと、探究心と、面白い偏屈さと、ある程度の客観性とって、色々だな。

うむ。色々ですよ。

 

起点がずれていくと、進んでいく先もずれていってしまいます。

僕はいつの間にか、色々なものを見ていない間に、何か重大なものを「見失っていた」気がします。

 

で、またここから、起点が変化して、いくつかの物語に出会えるといいなって思っています。

「わかるけど、納得できない。だってさ」って、

ぶつぶつ言いたくなるように。

ぶつぶつ。ぶつぶつ。

 

 

不器用なアナログレコードの挑戦

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