奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

おせっかいは正しいのか?

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おせっかい。

僕はそもそも、余計なことをしがちだったみたいです。

自分では親切にしたいっていう「善意」と信じてたんですけど、実はあまりいいことではなかったなと、今では反省しているのです。

おせっかい。

それがうまく機能していれば全然良かったんですけど、やっぱり、「過保護的」な悪影響が出ていたんじゃないかなって思います。

相手が大変そうだから手を貸す。

自分はそれについて、手伝えることがあるから、出来るだけ積極的に行う。

しかし、本来は、相手を尊重できる状態で行わなければうまく機能しないこと。

じゃないと相手は、面倒をただ人に押し付けているだけになるし(人によるだろうけど)、僕としても善意のつもりが「搾取されたような状態」が続き、疲弊していく感じ。

そういう流れが出来てしまうみたい。

ストレスや違和感が蓄積されていき、何となく腹が立ち、距離が出来ていく。

腹が立つってことは、そもそも、僕は親切でもおせっかいでもなく、「自分の欲求をそこで満たしたい」ってだけで動いていたことに気づいて、愕然とするわけですよ。

何をしていたんだと。

で、こんな声が聞こえてくる。

「あいつは強めに頼めば聞いてくれる。だって、優しいから」

 

って、それは「優しさ」じゃなくて、「弱さ」なのです。

気がつけば、自分は便利屋のような状態になっているし、成功体験を与えたことによって、相手はイカサマ師みたいに、少し甘えたり、困ったり、嘆いたりしたら、誰かは自分を助けてくれると思い始めている。それは別のところへ波及して、僕が断ると別の誰かへと及んでいく。

誰かがまた親切に動き、疲弊していく。

「……」

 

まず、自分をどう変化させていくかが重要でした。

弱さと寂しさを認める。

僕の寂しさは、「誰かに頼ってもらえるような状況を求めていた」のかもしれないと。だったら、その寂しさと向き合ったほうがいいし、強くならなければ解決しないことが多い。

それはやっぱり今までの関係が失われていくということでした。

けれど、いい加減だらだらと「心の不自然な状態」を重ねていくことに、限界が来ていたのでしょう。

僕はもう、あまり「おせっかい」ではなくなっていると思います。

自覚的に、話さなくていいことは話さないし、親切の押し売りのようなこともしない。

自分を犠牲にするような行動もとらなくなった気がします。

それは決して相手のためではなかったし、僕のその「非おせっかい」はゆくゆくは相手のためなんだと信じられるようになって来ました。

 

いつか、ちゃんとした「親切」が出来るようになれればいいなぁ。

と、思っています。

 

 

不器用なアナログレコードの挑戦

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