奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

往年のアイドル

 黄昏時というものを自覚する必要があるというのなら、もしかしたら今なのかもしれないと、十二月後半の寒空の下、考えていた。

 髪を二ヶ月も切っていなかったことを知ったのが昨日だった。些細な片鱗。「ただうっかり」というものであるなら、特に気にする必要もないけど、どこかで「まあいいや」「どうせ」「切ったところで」と先送りにしていた怠惰な結果だった。
 それはやはり「終わってしまった何か」を感じているということなのかもしれない。

 携帯電話でネットサーフィンをしていると、隣町の競輪場で早坂泉のミニライブイベントがあるというのを発見した。
 早坂泉って、あの早坂泉?
 僕が子供の頃、大活躍していたアイドル歌手、早坂泉。
 当時、テレビの歌番組では常連。コマーシャルやドラマと毎日のように目にし、歌声は必ずどこかから聴こえていたスーパーアイドル。
 それは僕の子供時代のクラスの思い出や、流行っていたギャグなんかとともに、しっかりと「日常の一部」として存在していた。
 もちろん、早坂泉はその後、結婚して子供も産んで、たまに情報番組やバラエティーで今でも見かけるのだけれど、僕にとっては小学生の頃、あの大活躍していた印象が強く、隣町の競輪場に来てライブするというのが結びつかない。
 入場料がいったい幾らなのか調べた。ミニライブといってもそれなりにお金を取られるだろうと、なんたって早坂泉なのだ。
 しかし、どう調べても、
「百円……」
 競輪場への入場料、百円で早坂泉を観れるようだ。
 ざわざわした。
 それは僕の黄昏に直結するざわめきな気がした。

 今まで誰かのコンサートとか観に行ったことはなかった。人混みが苦手だし、チケットの取り方すら知らない。音楽を聴くことは好きだけど、アイドルのイベントというのは僕との熱量の違いや、ファンの間でちょっとした知らないルールが存在してそうで、当たり前のように考えから除外していた。
 最近の「会えるアイドル」に嵌っている人たちも、現象としては知っていても、よく理解まではできなかった。きっと相互依存の関係で、何かしらの「誤解」の上に成り立っているものとすら思っていた。

 ふと、大きなホールで満員のファンの前で声援を受け歌っているあの頃の早坂泉がよぎった。
 どうしても結びつかない。僕の中ではマイケルジャクソンや、ジャッキーチェンとか、そういった遠い世界にいる位置づけなのだ。

 半信半疑のまま電車に乗り、駅から競輪場まで歩いた。
 年末の最終レースへの期待が盛り上がっているらしく、競輪場へ近づくにつれ人混みが増えていった。慣れない雰囲気。
 競輪場へ着き、ゲートに百円を入れると、中に入れた。人で溢れている。が、それは普段駅のホームや都心などで見かける人混みとは種類が違った。苛立ちだったり、諦めだったり、ピリピリと「刺激」が漂っている。道端に座り込んでいる人がいる。酒を片手に大きな声を出している人がいる。壁沿いで眠っている人がいる。
 僕は多少緊張しながら、ミニライブが行われるステージを探した。きっと前列は追っかけの親衛隊が陣取っていて座れないんだろう。売店が並んでいる。ハイボールやら、おでん、ラーメン、から揚げなんかが売られていて、大声が飛び交っていた。
「ラーメンお待ちのお客様!」
ハイボール二つ!」
 と、そんな売店と売店の間にポツンと小さなステージがあった。
 行きに立ち寄った小さなコンビニの半分ぐらいの広さ。とても粗末な作り。椅子もなく、ステージ前に板で観客スペースが、またコンビニの半分ぐらいの広さであるだけ。ステージととても距離が近い。本当にここ?
 ステージ横に小さなテントがあって、イベントを知らせるポスターが貼ってある。ここらしい。
 何人かが板の上に新聞紙を敷いて、座って待っていた。余裕で座れる。まばらに追っかけらしきおじさんが、顔見知りらしく談笑していた。僕は板に座らず、立って見ることにした。座ると、座席がないから、少し窮屈な気がしたから。それでも十分に近い。
 時間が近づくにつれ、レースの予想を終えた人たちがステージ周りに混ざり始めた。
 ケラケラ笑いながら「早坂泉、来んのかよ、へたくそーって言ってやるか」とか「え、なに選手とかのイベント?」とか、「人が待ってんじゃねーか、早くはじめてやりゃいいじゃねぇか、なあ」なんて、自由な声が聴こえる。
 ざわざわする。
 まだ信じられない。
 気がつくと、二百人ぐらいがこの小さなステージを囲んでいた。テント近くの人混みが何やらざわついていた。早坂泉がステージ横へ入ったようだ。それでも信じられない。
 開始時間になった。
 司会の女性が簡単に「撮影禁止」を伝え、「それでは登場してもらいましょう!」という掛け声とともに、ヒット曲「プリズム」のイントロが流れ、テントから早坂泉が現れた。
「あ……」
 僕は直立したまま固まった。
 化粧も濃いし、少し顔も丸くなっているけど、確かに「早坂泉」がいた。声が太くなってる。あと数年で五十歳になる早坂泉。
 フリフリの衣装を着ている。が、あの頃のように笑顔を観客に向けていた。
 そして一瞬、目が合った気がした。
 少年の頃の自分が慌てているのに気がついた。

「今日は集まっていただいてありがとうございます。八十年代の懐かしい曲を歌います。楽しんでいってください」
 最初の曲が終わり、挨拶をする早坂泉。
 本人が「懐かしい曲」と言っていたことに、僕はざわざわした。
 早坂泉は自分が「昔のアイドル」ということを自覚している。
 それは驚きだった。僕の中では「あの頃からスターのまま継続中」であったのだから。ただ最近、僕がテレビをそれほど熱心に見ていないだけで。と。
 時間が流れている。
 板の上の追っかけが掛け声を出す。
 曲が続き、映画の主題歌だった「トライ」へ。
「大丈夫、きっと夢が叶うから……」
 と、早坂泉が歌う、世にはびこる励まし系のアイドル曲が、なぜかグッと胸に突き刺さる。
 今確かに励まされている自分がいた。
 五十歳が近づく早坂泉。あの頃のように全力で飛び跳ね、笑顔を向け、観客に手を振っていた。
 自分に向けられている気がしてドキドキしてたら、始まる前、やじ飛ばしてやろうかと笑ってた隣のおじさん二人が、
「おい、手振ってくれたよ~俺たち純情だなぁ~」
 と、飛び跳ねて喜んでいる。誰もが「自分に」と思っている。

 最後、ファンにプレゼントを渡され、
「そう、この前誕生日でね、二十歳になりましたー」
 と、おどけていた早坂泉。観客も一緒に笑っていた。
 僕も笑っていた。
 四曲、二十五分ぐらいのステージが終わった。
 あっという間に人混みは散らばり、「スゲーかわんねぇな」「かわいいな」と、競技場へと流れていった。
 
 僕はその場で立ち尽くし、左目から流れる涙を人差し指で拭っていた。
 何で泣いてるんだろ。
 最初がっかりすると嫌だなと思っていたけど、「これは素晴らしいことだ」と打ちのめされていた。
 子供の頃、早坂泉は「日常」として存在していた。あの頃からの「何か」が励まされているのに気がついた。
 僕は人混みをすり抜け、出口へと向かった。
「大丈夫、きっと夢は叶うから……」
 小声で歌を口ずさみ、歩きながら、「楽しいなぁ」と思っていた。
 凄いなぁ。
 そして僕は駅前の理容室で髪を切り、また「トライ」を口ずさみながら家へと帰った。