小説kinema

小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

頭の中が騒がしい。

 

 頭の中が騒がしくて、どうにも集中できない。

 そういう時期が、一年のうちで何度かある。季節によって、集中力とか、気分とかそういうのが影響されていて、そういった研究もしっかりと存在しているのだろうけど、調べるのも億劫。

 僕は毎年あたふたして、何とか突破口を探して、持ち直すのだけれど、ちゃんと自分の中でマニュアルなり、調べるなりして「準備」をしておけば良かったと思ったりもする。

 じゃあ、「調べるか」となるのかと言うと、また癖である。

「たぶんこれをすればいいのじゃないだろうか?」的なことを幾つか繰り返し、そして夢中になって、集中できていなかったことなど忘れてしまうのだ。

 それでいいような気もするし、ちょっと効率的じゃない気もする。だから、今、少し立ち止まって、考えてみるのも暇つぶしなのかもしれない。

 今までの勘で言えば「ただ書けばいい」ということになる。僕は小説を書きたいだけなので、それにのめり込めさえすれば「集中できない」なんて状態はやはり忘れるのだ。

それをカバーする理屈もいくつか知った。

例えば「やる気が起きるまで待とう」っていうのは、原理的に間違いなのだそうだ。

どういうことかといえば、脳科学的に言えば、

「人はやり始めないとやる気は出ない」らしい。

脳は、出来るだけ「今の状態を維持」しようとするので、そこでまた新たなことをするというのはとても大変な作業なのだ。

だから、いやいやでも、五分なり始めてみると、「いつのまにか集中している」っていう状態が生まれるのだと。

また別の理屈だと、「習慣」にしてしまうということ。

目覚めた後、毎日一時間は机の前に座って書き物をするみたいなことを、毎日続けていくと、それをしない日があると、逆に気持ち悪くなってしまうらしい。

そこも「日常を維持しよう」と、自分なりのメリットを無意識に続けていることみたい。人間の癖みたいな。

だから、単純に、毎日の習慣に「書き物」を入れてしまうこと。そしてやる気が起きなくても「はじめてしまえば」勝手にやる気が起こって、創作しているという状態になるのだと。

ふむ。いや、それはしているのだけれど。

たぶん、今回の敵は「季節的なモノ」なので、そういうのを調べてみようかしら。

でも、実は違って、「なぜ散らかっているのか」という問題なのかもしれない。

その理屈を考えた時に、思い当たるのが、今また「長編の準備」をしているので「長編脳」になっているのではないか? ということ。

物語が「大風呂敷」なので、あっちこっちに「要素」を貯めこんでいて、そして書きあがるまでに時間がかかるので既に「へとへと」な気分なのかもと。

物語自体にのめり込んでしまえば、もうそれはグイグイ行ってしまうので、それ以前の準備なり始まりの時に、こういうことが起きるのではないかと。

なら、ちょこちょこと掌編なり、短い物語を書いていくのもまたアリの気もするし、まあ、そこはグッと我慢して、グイグイ地点まで書き進めるのも手なのかもしれない。

ああ、これもあれもしたいと。また騒がしい。

たぶん季節的なものかと……。