小説kinema

小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

蒸し暑いわ

 清掃控え室のエアコンが壊れた。
 七月に入り、何度か雨の日が重なった。湿度が高い。
 蒸し暑い。

 清掃員の登喜子は最近お洒落に興味が持てなくなっていることに気づいていた。安いシャツでいい。化粧なんかしなくていい。
 そんな思いの積み重ねで、気がつけば登喜子は「おばちゃん化」していた。四十代も後半。バツイチ。
 仕事終わりに、コンビニでアイスクリームとシュークリーム、ビールを三缶。揚げ物を適当に見繕って買っていく。
 録画したアイドルのバラエティー番組を眺めながら、酔っ払ってそのうち寝てしまう。

 控え室のエアコンが壊れて、とにかく蒸し暑い。
 登喜子は自分の作業を終えると、控え室へ戻りシャツをめくりあげて、扇風機の風を受けていた。
「うあぁぁぁ、あちぃぃぃ」
 コーラを飲み、饅頭を食べ、太ももの内側を掻いていると、控え室のドアが突然開いた。
 他の清掃員だと思って、そのままの体勢でいたら、入ってきたのは若い男だった。二十代中盤ぐらい。背の高い、身体ががっちりした、短髪の色黒。
「あ」
 と、小さな声を男が発した。そして、すぐに笑顔を登喜子へ向け、
「失礼します」
 と言って、会釈した。
「あら、どうも」
 と、登喜子も挨拶を返した。さすがにまくりあげていたシャツは下げたが、なぜか「態度を改める」ことに抵抗があった。
 どうせ見向きもされない。どうせ私なんかに興味ない。どうせ私がどんな格好をしていようが気にしない。
 登喜子の中で、「どうせ」が渦巻く。日々のわだかまりのようなものが、登喜子の思考を否定的なものにしていた。それと同時に、自分に対してこれでいいんだと思いたい気持ちもあった。
「なにあんた」
 登喜子はわざとぶっきらぼうに質問した。
「あ、バイトの面接でして、担当の矢代さんが、ここで待っててとおっしゃりまして……」
「あ、そう」
 若い男の匂いがすると思った。
 汗臭い。実際、彼の首には汗が流れ落ちている。
 登喜子は唾を飲み込んだ。
「壊れてるのよ」
 若い男に向かって、登喜子が声をかけた。
「はい?」
「エアコン。こんなに蒸し暑いのにさ」
「あ、そうなんですか」
「暑くない?」
「はい、暑いです」
 登喜子は自分に向けていた扇風機を首ふりスイッチを押し、風が若い男へ行くようにした。
 若い男が風を感じたのか、登喜子を見て笑顔を向けた。
 登喜子は少し動揺した。
 どうせ、面接だからいい顔してるだけよ。
「リラックスしなよ。たいした仕事でもないんだしさ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 登喜子は飲んでいる途中のコーラを指差して、
「飲む?」
 と聞いた。
 若い男は、
「あ、ありがとうございます」
 と言い、登喜子のコーラを手にして、そのまま口にした。
「あ……」
「え?」
「は?」
「いや……」
 登喜子は冷蔵庫から新しいコーラを出すつもりですすめたのだけど、突然、自分が飲んでいたコーラに口をつけたものだから動揺した。抵抗ないのかしら。私が口をつけたものに。
「ありがとうございます。生き返りました」

「汗凄いよ」
 そういうと、登喜子はロッカーからタオルを取り出し、若い男へ渡した。
「あ、ありがとうございます」
 若い男はタオルを受け取ると、自分の汗を拭った。
 その躊躇のなさに、再び登喜子は動揺した。私のタオルをためらいなく使った。と。そして、気がつけばマジマジと観察していた。よく見ると、シャツの中も汗で滲んでいた。
「服もびしょ濡れじゃない」
 そう言うと、登喜子は控え室のドアのところへ進み、鍵をかけた。
「ほら、誰も入ってこないようにしたから、ちょっと脱いで拭いちゃいなよ。面接なんでしょ?」
「あ、ありがとうございます」
 若い男はまたもや躊躇なしに、シャツを捲り上げると、汗を拭った。肌が露出している。
 登喜子は自分の胸の鼓動が高鳴っているのを感じていた。
 そして、一枚上に羽織ったシャツを脱ぐと、自分も無言で着替え始めた。登喜子はあくまで、自然を装ったつもりだったが、
「あ、すみません」
 と、若い男が登喜子が上半身肌着姿なのを確認して謝った。
「は、なに、ババアの薄着見て謝ってんのよ」
 登喜子はぶっきらぼうにそう答えながら、自分を「女」と認識している若い男に少し身体が熱くなっていくのを感じていた。
「あのね、若いんだからそんなの気にしない。控え室なんだからババア連中はみんな平気で着替えるんだから。意識されると、私が見てもらいたかったみたいじゃないの」
「あ、はい」
 若い男が、自分の薄着姿の前で、どこに視線を向けていいのか戸惑っている。登喜子は気づかれないように、小さな吐息をはいた。
 ガチャっと、ドアを開けようとする音が控え室を包み、登喜子と若い男がビクッと慌てた。
 けど、
「あ、ちょっと待って」
 と冷静な声色を出し、二人とも服を整えた。
 鍵を開け、ドアを開くと、社員の矢代さんが立っていた。
「あ、登喜子さん。この人の面接するから」
「あ、はい、ここエアコン壊れてて蒸し暑いよ」
 そう、平静さを装い、控え室を出た。
「ありがとうございました」
 若い男が登喜子に声をかけた。
 矢代さんが、登喜子を見たので、
「あ、汗かいてたからコーラあげて、タオル貸してやったの」
「あら、若い人には親切ね」
「エアコン直さないから、暑くてこっちが気を使うわよ」

 控え室から離れ、テナントのゴミを集めながら、登喜子は少しだけ額に滲んだ汗を拭った。タオルからは若い男の汗の匂いがした。
 一緒に働くのかしらと登喜子は思った。

 帰り際、いつものコンビニで、登喜子は缶ビールと、アイスをカゴに入れながら、ふと棚にある口紅が目に付いた。
 そして、そういや口紅が終わりそうだったなと思い出しカゴの中に入れた。
 少しだけ胸が高鳴っている気がした。
 湿度が高い。
 今日はとくに蒸し暑い。