奥田庵

小説だったり、映画だったり。犬だったり。

 僕がいる間にも何人かが辞めていった。
 残っている数人は、辞めていった人たちを馬鹿にした。
「全然もたなかったな」とか「根性が無い」とか「最初からそんな気がしてたんだ」とか言った。

 僕は聞きたくもない、その会話を耳にしながらクズだなと思っていた。そんな一員でいるのは嫌だなと思っていた。

 仕事自体は簡単だった。誰でも出来るような仕事。賃金も大して高くない。ベットメイキングと掃除。簡単な雑用。正社員が三人いて、あとはバイトだった。僕もバイトで入った。
 五年務めているリーダーが口の悪い人だった。教えてもいないのに、やり方が違うと怒鳴ったり、人前で罵ったりする。本人がいないところで陰口を言う。早めに帰っていいと指示しておいいて、本社に「勝手に帰った」と報告する。めちゃくちゃ。

 なのに、他の二人の社員は特に批判をする訳でもなかった。
 結局、リーダーに気に入られないと、自分がターゲットにされると恐れて、腰ぎんちゃくでイエスマンを通した。
「あいつが、気づかねぇから悪いんだよな」
「全くその通りですね」
 黙々と真面目に働いていた人が、ターゲットにされるようになる。黙っていられると、自分が嫌われていると、自分の悪事が上に報告されてしまうのではないかと、リーダーは恐れていたようだった。なので、囲い込むように一日中、しゃべり続けていた。
 悪態をついて、誰かを馬鹿にして、自分に嫌われるとああいう目にあうんだぞと、暗に脅迫じみた口調で威嚇していた。

 僕も無口で、気がつけば三か月働いているのだけれど、今のところ被害が回ってきてはいなかった。それは単に、他のターゲット下ろしが続いていただけで、「順番」が回ってきていなかっただけなのは分かっていた。ちょこまかと、「あいつは優柔不断だ」だとか、「歩き方がジジ臭い」とか布石を打っていたのは聴こえてくる。

 僕は次第に憂鬱になってくる。
 とっとと辞めればいいだけのような気がするのだけれど、他を探す手間だとか、自分もああいう風に「ダメだったな」とか言われるのが腹が立つだとか、なにも間違っていないんだからとか、そんな思いがあって、バイトを続けていた。

 けどまぁ、「正しい行い」をしていれば、安泰だと思っていたけれど、こうやってクズみたいな奴が、次々と人を辞めさせたり、馬鹿にして、のさばっているのを見ていると、どう納得すればいいものかと考えてしまった。

 クズに染まれば働いていられる。

 嫌だなそれ。ということで、一通り調べてみた。この状態にどう対処すればいいのか。簡単に言えばパワハラなので、証拠を集めて、会社に報告することで改善される可能性はある。けど、そこはある程度理解しているようで、上司の前での媚売りはかなりの腕前で、うまく騙され、信用しきっているようだった。
 しかも、こんな安いバイトで大騒ぎするよりは、とっとと次を探したほうのが手っ取り早いってのも分かっている。
 じゃあ、取りあえず次の仕事を探しながら、見つかるまでいようかなと思い始めた。クズには染まらないんだ。そう自分に言い聞かせて。

 そんなある日、リーダーが僕に言った。
「今日、人手が余ったから先に帰っていいから」
 嘘だなと思った。
 僕は「分かりました」と言いつつ、結局仕事を長引かせて終業時間までいた。そして、
「すみません、手間取って時間いっぱい掛かってしまって」
 と、言った。
 
 帰り際、
「お疲れ様でした」
 と僕が言った時、
「おー」
 と、言って目を合わさなかった。

 始まるなこれ。めんどくさいなと思った。
 そして次のバイトから、陰口が増えてきたのを感じた。それは周りがよそよそしくなったり、目を合わさないようになったり、ある程度囲い込みが成功したと見えたのか、聴こえるような声で、「いつ辞めんだろうな」とか、言いながら数人で笑いあっていたりした。
 感じ悪い。どうしよう。辞めようかな。けど、あいつらの思い通りになるのもヤダな。録音でも残して、徹底的に戦うか、どこかの労働改善のNPOへ行って、人権侵害で訴える手はずを整えるか、一応はっきりさせるために、どう言えばいいのか伝わるのかなんて考え始める。と、同時に、そもそもそんな大げさにするような仕事でもないよな。最低賃金で、バイトで、とっとと離れるのが正解なのも分かっているのだから。結局、わだかまりの処置をどうするのか自分が戸惑っているのも知ってはいた。ただ、腹が立っている。
 頬がぴくぴくしてきた。怒りが溜まってきている。

 と、そんな時、前に辞めた先輩がスーパーで買い物をしていたので、声をかけた。
「お久しぶりです」
 先輩はしばらく、僕の顔を眺め、
「あー、確かバイトの」
「はい」
「どうですか、その後は」
 そう言われ、僕はどうしても直接伝えておかないといけない気がしていた。
「あの……」
「ん?」
「先輩は、全然悪くないですから。全部、あいつが仕組んだのはみんな知っていますから」
 そう言うと、先輩は、ポカンとした顔をして、そして笑った。
「そうか、今、ターゲットなんだ」
「え、はぁ……」
「あのリーダー、ギャンブルで借金あんだよ。で、他に入れるような仕事も無いらしくてさ、怖くてたまんないんだよな。自分が仕事無くなるの」
「あ、はぁ」
「ああいう人がいるのは当然だから、まぁ、だからってクズにならないようにね」
「え、はい」
 そう言って、レジへと去っていった。
 大人かも……。僕はなにに固執していたのか……。

 次の日、会社に連絡して辞めることを伝えた。そして残った数日のシフトをこなした。
 僕が辞めることがわかったら、リーダーは優しかった。

「いつでも遊びにおいでよ」
「はい、また顔を見せます」
 これくらいの嘘なら、可愛いもんさと、僕は仕事を終えた。