小説kinema

小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

落書きみたいなもの。

書き癖をつけたい思って、ツラツラと。ブログを書きたいとかそういうことじゃなくて、文章を書く癖みたいなのを。だから飽きっぽいんだろうなとはすごく思う。今書いているものが長く、ジッと息を止めているような感じだから、たまに水辺に出て息を吸いたいのだろうと。
そんなことを思いつつ、こうやって、好きなように文章を打ちながら、考えをまとめるのは好きなのです。

お腹がいっぱいだったら「成功したのだ」と思ってしまえばいい。
と、どこかで読んで、それを成功の定義にするのは楽しいなと。
そうすると、ほぼ毎日成功しているので、いい気分になってくる。
まあ、成功じゃなくても「幸せ」だっていい。今日も幸せ。

そうした時に、大概自分の気分を沈めているのは、今まで培った意識だったり、他人への偏見だったりするんだろうなって思ってくる。
ようは「あれが足りない」って思って、先を求めたいのだろうと。
枯渇を刺激して、競って、比べて、ずっと足りない状態を求める。
これはこれで罠っぽくて嫌だな。病気だな。
高みを求めるのは自由だし、他人がそれを基準にして努力していることは別に構わないのだけれど、自分にとって有効かどうかが問題なわけです。
枯渇が苦しくて、動けなくなるようだったら意味ないのでね。
僕の場合は「自分に課した問題をクリア出来るかどうか」のやり方が、一番平和的で好き。対自分。それが、先に進むにつれて、より楽しくなっていけるのかが僕にとっては大事にしたい「意欲」だなぁと。

一時期、暇だったんで悪口について、一日中考えてみたときがあって、それは、
「そもそも何で悪口を言わないといけないのか?」 
「悪口を言うことは今の自分に必要なのか?」
と、ジッと考えるわけですよ。あーでもないこーでもないと。
悪口を言われたら気分悪いだとか、カテゴリーにまとめられるのは嫌だとか、そもそも基準の中で偏見を持たれて、文句を言われるわけで、相手側から見られた場合の誤解や評価が入ってくるから気分悪いだとか。
まあ、簡単に言えば「悪口を言う必要は一ミリもない」と、一回決める。
あまり得をしないなと。
「笑い」の意味で言えば「緊張の緩和」なので、偉そうな人に「ハゲ」とか言うと有効に見えたりするのだけれども、基本、言う必要はないなと。
思ってはいいことにする。「あ、ハゲてる」とか。
悪口は目的が自覚できていない場合は、あまり使わないことにする。
僕の場合特に。調子に乗るから。
で、悪口を言っているのかどうか、自分の会話をチェックし始める。
本人は緊張を緩和して「和ましている」つもりでも、実際、あまり有効でない競争が無意識化で行われていたりするわけでね。
自尊心だとか、褒めてもらおうだとか、比喩でアプローチするとかそんな形で、「あいつダメ、俺凄い、ね、そうでしょ」と言っているかもしれないと思うと凹む。まあ、自信の無さが、そういった発言へと結びつくわけで、意識して言わないようになれば、慣れてくると結構気分は良くなってくる。ああ、これは有効だと。自分が楽になる。

しかしまー、生きているってのは欲深いもので、死んでいる人からも「生きていく術」なんかを学ぼうとしちゃうわけでね。いや、それは普通か。
しかし、死んじゃうんだよなぁと思う。いくら生きていたいと思っていても死んじゃう。ずっと起きていたくても眠くなれば寝ちゃうのと同じで、自然な流れなんだろうなって思う。
寝ないとしんどいのです。死なないとしんどいのです。たぶん。
ぐっすりと。毎日死んでみているようなものでね。
ということで、今日も美味しい食事が出来て、いい日でした。
今日も成功。明日も楽しもう。