小説kinema

小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

手塚治虫




中古で手塚治虫全集216冊を12000円の格安で購入。
手塚治虫全集は全部で400冊あるのだけれども、それをまともに揃えるとウン十万するので、このお得さに大喜び。小さい頃、この全集を集めるのが夢だった。
何冊か実際集めていたのだけれども、まだパソコンが普及していなかった時代、自主映画を撮った時に、編集室借りる予算作るために全部売ってしまった。
それから本の収集と言うのはしてこなかった。
今、本棚に並ぶ全集を眺めると胸が熱くなる。そして楽しい。

と言うことで、手塚治虫を読みふけっています。
手塚治虫は子供のころから僕の教科書なのです。
中学生だった僕が当時読んでいたのは「ブラックジャック」「火の鳥」「ブッダ」「アドルフに告ぐ」なんかだったのですが、今回は今まで読んだことなかった作品も沢山。凄く楽しい。

手塚治虫周辺のことも調べるとまた楽しくなる。
追悼特集の雑誌で手塚批判をした宮崎駿。実際、ものすごく手塚漫画に影響を受けたことを認めつつ、アニメに関しては「酷いものを作った」と。この発言に対して、のちのちの宮崎駿を追っていくのも楽しい。
宮崎駿が言っているのは「漫画家になりたかった。だけど手塚治虫の影響を引きずっている自分が、どうしたらそれを逃れられるか苦しんだ」と。そしてアニメの道を志したとき「あんなアニメを作ってくれたおかげで手塚治虫を否定できるとホッとした」と。その葛藤の告白。
追悼雑誌から随分経ってからの「手塚治虫展」のパンフレットに宮崎駿のインタビューが載っているのだけれど、そこには「あのときの発言」についてもう少し丁寧に答えているので気になる人はぜひ。会ったことがあるのは一度だけらしいです。「ずいぶん親切な人だなと思いました」と。
手塚治虫宮崎駿の「ルパン三世カリオストロの城」について「僕は面白いと思った。うちの連中もみな面白がって見ていた」と発言している。
その宮崎駿のプロデューサー鈴木敏夫は雑誌編集者時代、手塚治虫に原稿を貰いに行ってる。そのときの印象が「風に吹かれて」というインタビュー本に載っていて面白かった。短編をお願いしたら原稿遅れた末「連載にしてくれ」とか。
宇宙戦艦ヤマトの西崎義展は昔手塚治虫のマネージャーなどをしていた。
その西崎はあるとき、手塚治虫の版権を奪い、裏切ったとかいう噂。
機動戦士ガンダムの冨野由悠季は虫プロへ入社。手塚治虫直々に「演出をやらないか」と喫茶店で言われた。海のトリトンからガンダムに辿りつくまでの話も面白い。
ガンダム以後、手塚治虫は僕にとって先生だなって思えるようになりました」

アニメ周辺の話は「小説手塚学校」にとても詳しく書かれていて、あとカリオストロの城未来少年コナン作画監督大塚康生の「作画汗まみれ」にもちょくちょく手塚治虫が出てくる。
大塚さんと仕事したくて手塚治虫が花束を持って大塚さんを待っていたとか。東映動画で話題になる虫プロの噂とか。動揺とか。

まんが周辺だと藤子不二雄の「まんが道」が特筆。
デビュー当時の手塚治虫藤子不二雄二人や当時の漫画少年、読者に対しどれだけ影響が大きかったかが分かる。全く新しいものを目にした感動。ファンレターへの返事、本人に会いに行く、そこでみた手塚治虫の努力、親切。「ジャングル大帝」最終回を手伝ったこと、自分たちと同じように手塚治虫に導かれてトキワ荘に集まった石ノ森章太郎赤塚不二夫
それと後期の手塚治虫のことは漫画「ブラックジャック創作秘話」が面白い。
編集者との追いかけっこ、人間業とは思えない集中力、限界まで描き続ける努力。その周辺の人たち。
一人の人間がどれだけ多くの人に影響を与え続けていたのか。

大好きだったディズニーと一度だけ会えたこと。黒澤明と映画を作る話があったこと。2001年宇宙の旅で美術の仕事の依頼を断ったこと。SF作家たちとの交流。亡くなるほんの少し前の小学校での講演。
そんな一つ一つが僕の刺激になっていく。そして、漫画を読みながら、また新たに刺激を受け、頑張らなきゃと思うのです。
「シュマリ」なんてたった4冊で今の漫画の20冊ぐらいの凝縮さがある。面白い。
頑張ります。手塚先生。