小説kinema

小説だったり、映画だったりの作業スペース。散らかってます。

長編小説を書いていると思う

年をまたいだけれど、ずっと長編小説を書いてる。
長編小説を書くのは初めて。いつも二千字程度の短い掌編小説ばかり書いてきたので、いつまでたっても書き終わらないから「ずっと」書いてる気分になっている。勿論、ずっとなんて書いてない。

だいたい、前にも書いたけど、仕事しながら小説書いていくと掌編程度が僕にはやっとの作業。全然集中できないから。
気分があっちこっちに飛ぶので掌編一本ぐらいで、「また次」の気分になってる。だから作業的に掌編小説は苦肉の策に近かった。

だけども、まあ、そんなことばかり言っててもいけないのではないかと思い、長いものを書いているのです。
脚本の時もそうだったけど、一度長いものを何とかこしらえてしまえば、次も書けるような気になる。そして実際前より書けるようになっている。だから、今回も一度どっぷりと書き終わるまで書いてみようということで、長編小説を書いているのです。

しかし、先に書いたように集中できない今の状態で長編小説を書ききるには何か作戦を立てないといけないと考えた。

まず、書きたい物語を考え「こういう話にしよう」ということで導入部を書いたところで、一度止まった。
「こっから長いよな」と、少し嫌になって止まった。
取りあえず、忘れちゃうとまずいので「こういった流れになる」ってメモ書きを記してまたストップ。

そしてしばらく放置していた。なんとなく頭の隅で展開は膨らむので気にしてはいるのだけれども、なんだか「わかってる話をただ書く」作業がつまらないのだ。掌編小説ならパッと終わって次に行けるからいいのだけれども、なにせ長編小説なのだ。

ということで、余白を残して展開を膨らませることにした。
大筋で出来上がっていた物語に「よく分からないけど、ずっと気になっててしょうがなかったもの」を付け加えることにした。
分からないものを求めながら書くときっと面白いだろうと。

しかし、順を追って書いていくとやはり気分の散らかりが目立ってくる。日々の摩耗の中で、「こうだ」と思って進めていたことが途中で止めざるをえなくなって、次再開する時に「それ、もう違うな」なんてことは山ほど起きるのだ。

そんな掌編程度の集中力しか出せないのであれば、長編小説を掌編数十本分に分割してみようということで、まず、メインを四分割のストーリーに分けて、またそれを四分割。
一本の物語を、四つ分けて、計十六本のストーリーにしてまた書き始める。そして、余白を意識する。基本、僕は自由なのだと。

しかし、いつまでたっても出来上がらないし、発表の予定すらないので、気分は荒むし、イライラするわで停滞。

そしたらもう、その時その時、必死で自分を乗せるように頑張る。
パターンとして「マイブームの循環」があり、手塚治虫ブーム、宮崎駿ブーム、黒澤明ブーム、チャップリンブーム、村上春樹ブームが循環ルートになっていて、メイキング話とかドキュメントとか、インタビュー集とか、作品じゃなくて「凄い人がどんだけ頑張って来たのか」をひたすら貪って、「凄い人が頑張ってるんだから僕も頑張ろう!」と言い聞かせて二ページほど書けたりする。

あとは、部屋の内装を変えたり、机を新しく買ったり、本棚の本の並べ方を変えたり、とんこつラーメンを食べ続けたり、昔のパソコンを物置から出して使ったり、ウォークマンを買ったり、髪の毛を伸ばしたり、バッサリ切ったり、フィギュアを買ったり、電子書籍を出してみたりして、それぞれ気分が盛り上がったところで数ページ進む。

で、書いている時は気持ちいいのです。
「いま、凄いの書いてる」とドキドキする。

そんなことを続けていたら年が明けていました。

いま取りあえず四万字を越したところでございます。
まだまだ続く……。

黙々と作業に集中できる自由な時間と環境と忍耐力を手に入れたい。
ついでにやる気にさせてくれる凄腕の編集者とやり手のマネージャーと、小型犬も欲しい。
と、こんなブログで息抜きしてまた数ページ進むのです。

コツコツ。