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僕の映画の作り方 1 章 はじめに

僕の映画の作り方。

1 はじめに、

具体的な作り方の方法は4章から。それまで少し、プロローグを。

僕の映画の作り方を書き記しておこうと思う。
HPを始めて十数年が経って、作成したページも随分と放置したままなので時間がある時に
チョコチョコと整理しています。その中で自分でも作ったのを忘れていたのだけれど、
「カチンコの記入方法」のページがあって、それがヤフー知恵袋かどこかで、
「カチンコの記入方法を教えてください」みたいな質問の回答に、僕のそのページにリンクが貼られていた。
それを見て嬉しかった。知らないうちに何かの役に立っていたのかもと思えたから。

たまに僕なんかのところにも「一緒に映画を作りませんか?」と話が来る時がある。
それで「何をやればいいのですか?」と尋ねると「それが解らない」と言われる。

つまり、「とにかく映画を作りたいのだけれど、解らないから手伝ってくれ」という話だ。
それは、「解らないことは全てやってください」と言っている訳で、「解らないから教えてください」とは意味が違う。書き方の情報がすぐ集められる「脚本」だけ用意して、僕がやりたいのはこれ、あとはお願いって事なのである。
欲しいものを注文したらそれが与えられると思っている。集団作業にありがちな勘違い。
ポジション的に「楽そうな」場所から、「実作業をやる人」に「指示を出す」ことが「監督」だと思っている人が意外と沢山いる。

それは、僕の映画の作り方から言えば間違いだ。

でも、若い頃はそういう状態でもいくつか手伝いに参加した。個人で映画を制作する場合、そういった「付き合い」が大事だと思っていたから。

でもだいたい、そういった「付き合い」を突き詰めて考えておかないとそのうち大変なことになる。正常な付き合いとは、しっかりと自らの立場を主張できるものでなくては、いつかは心が苦しくなる。
その正常な付き合いが出来る相手とは「お互いを尊重」出来る相手が望ましいだろう。

別に相手が「できない理由」を言うのを責めている訳ではない。逆に自分が「出来る」からという理由で、「何でもやってしまう」のは問題があるということ。

「気持ち」をたてに「利用」するのは詐欺か搾取的行為だ。
そういった商売がまかり通っているから、その方法でうまく回転させている人を「仕掛け人」とか、「手腕」とか「やり手」などの言い方で表現され、「褒められてそうだから」それを目指したいと思う人がいるのも解る。
そういう状態に憧れ、満足できるのなら、そのコミュニティーでやっていけばいいし、特に問題はないと思う。
ただ、僕は違うという話だ。

僕は「物語を表現する手段」の一つとして映画を作っている。
単純に言えば、僕は物語を作るのが好きなだけだ。で、それを「小説」にしたり「映画」にしたりして、自分で興行したり、出版したり、ネットに流したり、たまに流通してもらったりしている。

作るのが好きで楽しい。それがやりたい。できれば多くの人に届けられるように。
生涯を通してそれをやり通せればと望んでいる。

今からここに記す「僕の映画の作り方」は単純に「映画を作りたいけれど、どうやって作ったら良いか解らない」と言う人の為に、一つの参考として書いていこうと思う。

僕の作り方は極端な言い方をすれば「一人でも映画が作れる」方法。
だから、僕の前で「映画の作り方が解らない」と言う人がいなくなることを望んでいるし、手伝ってほしいと来た場合はしっかりと準備が整った後の「役割の提案」に変化している事が目的だ。
少なくとも、ここに記されていることも読んでもいないで「良いからやって」と来られたら、直ちに断るつもりでいる。

ちなみに僕は今、生活の為の仕事の傍ら長編の小説を執筆していて、出来るだけそれに集中しようとしている。仕事は二十四時間拘束だし、往復四時間かけて通勤している。その合間に携帯や、ノートに物語の断片を書いて、家に帰りパソコンにそれをまとめ、続きを書くのが最近の日課。とても集中力が必要だし、体力も気力もすり減らしてやっている。勿論、それがやりたい事だからだけれど。その小説を書き上げた後には流れだけ書いた脚本の清書、文庫本の作成、資金や準備が揃ったら映画の制作、次の小説と気持ちだけ随分とため込んでいる予定がいっぱいで、「全面的な映画の手伝い」が出来ない状態であることを付け加えておきます。